霧散

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霧散

 左手の小指が消えかかっていた。正確に言うと、小指の第一関節の上が透け、ノートに書かれた文字や罫線が見えている。触ってみると、一応感触はあった。  焦った僕は教室中を見渡した。挙動不審に目を動かしていると、隣に座る国重さんと目が合う。彼女は僕の左手を見て、目を丸くしていた。慌てて小指を手で隠したが、遅かった。  面白いものを見てしまった――彼女はそんな表情を浮かべている。講義を途中で抜け出し、コンビニへと急いだ。薬指の下に小指を滑り込ませ、店員にバレないように会計を終える。そして店外に出ると、すぐさま包帯を小指に巻き付けた。  キャンパス内に戻り、ベンチに座っていると、国重さんがふんわりとした髪をなびかせながら、やってきた。彼女は隣に座ると、「見ちゃった」といたずらっぽい笑みを浮かべ、僕の顔をのぞき込んだ。 「何を?」と声をうわずらせながら、とぼける。 「小指透けてるでしょ」  勢いよく首を振って、包帯の巻かれた小指を本能的に隠してしまった。 「それ、霧散症」と僕の左手を指さした。 「何それ?」  そう聞くと、「そういう病気。やがて全身に回って、存在が消えちゃうんだよ」と彼女は僕を脅す。 「何でそんなことを……」 「私、体験者」  僕は国重さんの顔をじっと見つめ、「どうすれば治る」と聞いた。すると彼女は突然、僕を抱きしめた。「存在がね、この世から消えかかってるの。だからこうして繋ぎ止めてあげると、治る」と、僕の背中をキュッと掴んだ。  彼女が身体を離すと、僕は急いで包帯を外した。小指は元に戻っていた。正常であることを確かめるように、左手を握っては開く。 「これで完治?」 「ううん」と彼女は首を振り、「効果は二十四時間で切れる」と答えた。 「じゃあ、一日一回はハグを?」 「三ヶ月くらいずっと」 「誰でもいいの」  国重さんは「違う」と返し、そして気まずそうに、言いづらそうに、うつむき、恥じらいを見せる。 「あなたに好意を持っている人しか、繋ぎとめることはできないの」  顔を赤らめて、彼女は言った。僕も気まずくなり、顔を背けた。 「だからね、普通は親とか恋人にしてもらう」 「君はそうだったの?」 「うん」  国重さんがうなずくと、一瞬沈黙が訪れた。彼女は目を細め、「知ってるよ。君に彼女がいるの」と微笑んだ。 「だから、次から彼女さんにしてもらってね」  彼女は腰を上げ、ベンチから離れていった。
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