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本当に名残惜しい別れだと思ったのは、事実だ。でも、それが運命なんだと、自分に言い聞かせた。こんな都合の良い事が、不意に訪れるはずがないと。
しかし、運命は道を用意してくれていた。
その数日後の事だった。
仕事終わりに駅を出ると、また美咲が目の前にいたのだ。
美咲は俺を見るなり、手を振って笑顔で近づいてきた。
「奇遇だね。今日もお見舞い?」
跳ねる気持ちを抑えながら話しかけた。
「はい。でも、今日はもうお見舞いには行ってきました」
「そうなの?」
「今日は、どうしてもあなたにお礼を言いたくて」
「お礼?」
「この間のこと、本当に助かりましたから」
「いやいや、とんでもない」
そんな大した事をしたつもりはない。口には出さないが。
「もしかして、そんな事で俺を待ってたの?」
美咲は頷く。
「同じ時間なら会えるかなって思って」
「そんな。なんか悪いね」
「せっかく待ってだんだから、そんなこと言わないで下さいよ」
その言葉に、また俺の気持ちは動いていた。素直に、彼女が可愛いと思ってしまった。
しかし、それだけでは終わらなかった。
「もしよかったら、今からご飯に行きませんか? 私に御馳走させてください」
まさかの誘いに、思わず声吹いてしまった。
しかし、彼女の目は真剣だった。
「本当に言ってるの?」
「もちろん。そんな冗談言わないですよ」
「でも、君のような若い女の子にお金を払ってもらう事はできないな」
「だったら、ご飯だけでも一緒に行ってもらえないですか?」
予想外の展開に、言葉を詰らせてしまった。こんな事があって良いのか? 現状を疑ってしまったくらいだ。
何も答えず、戸惑う俺を見て、彼女は小さく視線を落とした。
「やっぱり、駄目ですか?」
駄目な訳がない。信じられなかっただけだ。
何より、上目使いで見上げてくる彼女の誘いを、断るなんてできない。
入った店は、近くにある焼き鳥屋だった。その席で、互いに自己紹介を交わした。
食事の席では酒が入った事もあってか、美咲は硬さが抜けていった。言葉使いも柔らかくなり、素顔が垣間見れた気がした。
俺の博己という名前に、顔に似合わないですねとはっきり言ってきたり、年齢を31歳だと告げると、以外とおじさんなんですねと、からかってきたりと、明るくおしゃべりな部分が見れた。
そんな彼女を見ていると、内心は嬉しくなった。距離が縮まった証拠だと思ったからだ。それに、硬い言葉で話す彼女よりも、素顔の彼女を見ている方が、さらに魅力的に思えた。
お互い、自然と口数も増えていく。
彼女は京都から上京して、大学に通っているという。たまたま通りかかったペットショップでアルバイトを始めて、それが自分の生きがいになっていった。恋人は高校時代からいない。そして、現在彼氏募集中だと知った。
「博己さん、彼女は?」
そんな問いかけに首を振った。もちろん、嘘だ。
そんな俺に、美咲は笑う。
「なんだよ」
「予想通り」
「笑うな。昔はいたんだ」
「はいはい。昔の話ね」
「うるさいよ」
楽しい時間は、あっという間に時間が過ぎていく。大半がくだらない話が多かったけど、この時から、さらに美咲を意識するようになった気がする。
そして、この後さらに、俺の気持ちは傾いていった。
食事が終わりに差し掛かる時、美咲から突然に伝えられた。
急に、美咲の顔は真剣になった。
「就活を辞めて、全てを振り切って今働いているペットショップにそのまま勤める事に決めました」
彼女の表情は、不思議とすっきりとして見えた。そして、美咲は続けた。
「あなたのお陰です。ありがとうございました」
その一言は、素直に嬉しかった。背中を押せて、役に立てたと思ったからだ。
そして、このまま関係が繋がっていたいと思った。
気が付けば、終電の時間が過ぎていた。
俺は彼女に財布から1万円を差し出した。
「なんですか、これ?」
「タクシー代」
「そんなの悪いです」
「いいじゃないか。これくらいさせてくれないかな」
「そんな事をされたら、お礼をした甲斐がないじゃないですか」
「でも、何もしないわけにはいかないよ」
「でも、なんか違う気がします」
そんな押し問答が続いていると、美咲が視線を落とした。
「どうしたの?」
美咲は、甘い視線を俺に向けてきた。
「あの、もしよかったらでいいんですけど、お家に泊めてもらえないですか?」
甘えた声。それは俺の心臓に、見事に突き刺さった。
突然の展開に慌てた。一気に酔いが覚めたほどだ。これは現実か?
はっきりと答えない俺に、美咲は溜息をつく。
「ごめんなさい。迷惑ですよね?」
そう呟く美咲の視線とぶつかった時、慌てて首を振った。
「迷惑じゃない。だけど、大丈夫なの?」
俺は、もう一度確認を取る。それは余計な一言だと、思いながら、
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