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「始発でちゃんと帰りますから」
そう一言添えた美咲を、家に招くことにした。
家までの間、完全に浮き足立っていた。美咲に突然に腕を組まれて、体が密着した時には上の空だ。
沙智の存在は、完全に頭の隅に追いやられていた。
そんな流れだから、もちろん何も起こらない訳がなかった。部屋に入るなり、自然と視線がぶつかっていた。そこからは、流れに任せていった。
美咲との関係は、こうして繋がった。ここで終わらせたくないと思った事は、素直な気持ちだった。
美咲と関係を持ったのは、数えきれない。会う頻度は、入れ替わるように沙智よりも多くなっていた程だ。
当然の如く、沙智に対して連絡を怠るようになっていった。意識していなかった訳ではない。ただ、美咲に夢中になっていただけだ。
そんな俺が、沙智にとって仇となるは当然の事だった。
「最近、おかしくない?」
久しぶりに沙智からの連絡に出ると、明らかに不機嫌だった。
「そんな事ないよ。仕事が忙しくてさ」
「返事くらいできるでしょ?」
「ごめんごめん。寝ちゃってさ」
沙智はずっと愚痴を浴びせてきた。
気持ちは揺さぶられた。確信を突かれた訳でもないのに、何故か後ろめたさが胸を占める。
だけど、事実を正直に答える男なんていないと思う。
「悪いと思ってるよ。だけど、本当に仕事が忙しかったんだ。年末の打ち合わせもあったしね」
そんな風に何度も訴えると、沙智は突然に黙った。
そこには、ただ沈黙だけが流れた。
俺はこの沈黙を破らない様に意識した。ここで畳み掛けて話してしまうと、さらに言い訳がましく聞こえてしまうと思ったからだ。ただ黙って、じっと沙智から話しだすのを待っていた。ただじっとして。
もちろん、先に痺れを切らしたのは沙智だった。
「ふーん。そうなんだ。だけど、次は本当に気をつけてよね」
「もちろん。本当に、ごめん」
そのあとはもう、何も言ってこなかった。
難を逃れたと思って安心した。後に、勘違いだという事にも気が付かずに。
意識が完全に、美咲に傾いていた自分は馬鹿だったと思う。だけど、あの時は何も疑いも持たなかった。
あろうことか、さらに俺は美咲に夢中になっていた。ほぼ毎日のように美咲に連絡を入れて、会っていたくらいだ。美咲も喜んで家にやって来てくれた。そんな顔を見ると、さらに舞い上がっていく。
しかし、沙智は沙智で、連絡の頻度が増してきた。あんな事を言われれば、予防線を張るためにも、それを疎かにするわけにはいかないと思った。空いた時間を使って連絡を入れたり、メールで誤魔化したりと、あれこれと工夫をして、こなしていった。
今思えば、そんな状況が続けば、言い訳も底を尽きてくるのは当然だ。当たり前なことなのに、そんなことにも気が付かなかった。
俺は、大丈夫だと安心していた。自分は上手くやっている。誤魔化しきれていると。
あの時の俺は、そんな事にも気が付かなかった。本当に馬鹿だったと思っている。
そして、この関係は、あの夜に壊れた。
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