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沙智は俺の腕を引っ張りながら、一言も発しなかった。
そんな彼女の姿を見ながら記憶を遡ったが、結局何を言っても無駄に思えた。
でも、そういう訳にはいかない。
「悪かったよ」
「うるさい。黙って」
謝罪の言葉は、あっさりと跳ね返された。そんなものは、一切受け入れないと言わんばかりの切れ味だ。
沙智の言う通り、ただ黙って彼女について行った。
行き着いた先は、有料駐車場だった。その駐車場の奥まで入って行き、人目がつかなくなった所で、沙智は俺の腕を乱雑に離した。
「ずいぶんと、舐めた事をやってくれたわね」
振り向きざまに、強い語気でぶつけられた。収まる気配が見えない怒りの雰囲気と、今にも襲ってきそうな鋭い視線。
俺はただ、萎縮するしてしまった。
「すまない」
自分でも情けない程の小さな声に聞こえた。
「何がすまないよ。そんな事で、許してもらえると思ってるわけ?」
「いや、それは」
「何?」
「思ってないよ」
「じゃあ、なんであんな事ができるわけ?」
言葉が出てこなかった。どのように話せば良いのか、自分でもよくわからなかった。
「黙ってたら許してもらえる。そう思ったら大間違いだから」
「それはわかってるよ」
「だったら、何? なんであんな事をやったの?」
「その、つい出来心で」
そう言った瞬間、沙智の腕が大きく振りかぶったのが目に入った。それが頬に強い衝撃を与えるまで、一瞬だった。
「本当、馬鹿じゃないの」
勢い良く頭を下げた。
「本当に申し訳なかった」
しかし、そんな事で沙智の怒りが収まるわけがない。
「何が申し訳ないよ。許されるとでも思ってんの?」
「本当にすまなかった。全部俺が悪かった」
「当然よ」
俺は視線を地面から離さなかった。今は顔を上げるべきでない。そんな事は百も承知だ。
「顔を上げなさいよ」
「許してくれるのか?」
「そんな事はどうでもいい」
「だったら顔を上げれない」
「何、私に逆らってんのよ」
沙智は俺の髪を掴み、頭を起こしてきた。
目の前にいる沙智に、目を合わせられなかった。ただ、じっと俯いて、目が合わないように、気をつけた。
それでも、沙智の尋問は続く。
「それで、あの子とまだ続いているの?」
呆れたような声で、沙智は言った。
大きく首を振って答えた。
「声に出して、言いなさいよ」
締まっていく喉を、懸命に開いた。
「まさか。連絡すらとっていないよ」
正確には、連絡がつかなくなったのだ。だが、それは伏せておいた。そんな事を言えば、嘲笑われると思ったからだ。自分なりの小さな抵抗だった。
「あの子から何を聞いてたの?」
「何って、何にも聞いていないけど」
「本当?」
「何を疑ってるんだよ。知らないよ」
「何よ、その口の聞き方。あんたがあんな事をするから、こっちは信用出来ないんでしょ。それくらい分かりなさいよ」
完全な説教だ。仕方がないとわかっているが、ここは下手に抵抗しない方が身のためだった。
「すまない。でも、本当に何も知らないんだ。あの後、彼女はすぐに部屋を出ていったんだ。本当だ」
「そうやってムキになってるのが、本当に鬱陶しい」
沙智が舌打ちを放つ。
「あんたって、本当に馬鹿」
そう言って、胸ぐらを掴んできた。
「あの子はね、私の後輩。職場の後輩なの」
その言葉に、俺の思考が乱れる。
「後輩? 大学生じゃないのか?」
「大学生? あんた、そんな事を言われたの?」
俺は頷く。
「そんなわけないでしょ。あの子は今年で27歳よ。とっくに学生生活なんて終わってるわよ」
「だったら、就職活動は? それにお婆ちゃんのお見舞いっていうのは?」
「何を言ってるの? それもきっと嘘よ。ほんと、よくそんな嘘を信じていられたものね」
全く気が付かなかった。自分が情けなく思えた。
しかし、小さな疑問が生まれた。どうしてそんな嘘をついたのだろう? 話が全く整理できなかった。
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