22人が本棚に入れています
本棚に追加
プロローグ
厳しい冬の寒波が新潟を覆う。刺すような冷たい冬の風が頬を撫で、通学路を歩いている長身の少年がその風にぶるりと身震いをした。彼の吐息は白く体は震えたままだ。寒さから逃れるため、少年は震えながら、足早に学校へと足を踏み入れた。
——12月の冬、「神取彰人」は将来を考えていた。
(はー。やっと授業が終わった……。)
終業を知らせるチャイムが鳴り響く。時刻は夕暮れ時、窓から差し込む夕陽が教室の中を赤々と照らしていた。少年は気怠げな様子で背もたれによりかかりながら今日1日を振り返る。
もはや入学以来ルーチンワークと化したいつも通りの授業が終わり、今は放課後だ。一般の生徒達にとっては勉学の予習復習に励む者やアルバイトや友達といった遊びに赴(おもむ)く者が殆どだろう。しかし少年はそういった意味において他の生徒よりも多少異質だった。特殊な部活動があるためだ。
——技術情報部(Technology information)
それは2029年に総務院高校に導入された部活である。1990年後期、インターネットや電子機器の普及に伴い、ネット上での犯罪、通称”サイバー犯罪”が増加しはじめて以降、子供達にもサイバー犯罪の知識を学ばせる目的で導入された部活だ。しかし、た残念ながら教師陣が電子機器に疎かった。結果何を血迷ったかヴァーチャルリアリティ(仮想現実)を再生するVR機器を誤って購入してしまったのである。
学校側としては機器を購入した以上、失態を公にしたくはない。かといって対処しないという訳にもいかない。いわゆる一つの妥協案として、部活動という納得できるようなそうでないような曖昧な理由で技術情報部を立ち上げるに至った。
(まあ、そのおかげで俺は助かってるけどね…)
神取彰人。彼もまた総務院高校の1人の生徒である。長身に加えて艶のある黒髪と意志の強さを思わせる赤い瞳を持つ。その恵まれた容姿と性根の優しさが幸いとして、クラスメイト達からは好かれていた。
(もうこんな時間か。部活に行かないとな。)
彼はふぁ、と気怠げにあくびをしつつ椅子から立ち上がろうとした。しかしその瞬間、ガラリと音を立てて教室の扉が開く。彰人は何事かと思い扉の方に視線を移した。そこには、2人の少年と少女が立ち竦んでいる。
彰人のクラスメイトである桐谷総一郎と天音文香だ。彰人は眠そうな時の顔を見られ、やや気恥ずかしそうな表情を浮かべながら2人を眺めた。
「ふふっ。彰人君、今日も眠そうね。部活には行ける?」
ほんわかとした気の抜けた雰囲気の少女が話しかけてくる。この艶やかで長い黒髪を持ち、小動物を彷彿とさせる小柄な少女。彼女を一言で説明するならば、彰人の彼女である。その温厚そうな雰囲気が育ちの良さを表しており、彼女も彰人と同じくクラスでも人気があった。彼女は料理同好会に所属しており、この時間はそろそろ同好会が始まる時間のはずだ。
もう1人の大人しそうではあるが、知的な風貌の少年は彰人の数少ない親友である桐谷総一郎という。切れ長のきりりとした瞳に加えはっきりとした目鼻立ちを持ち、性格は不正を許さないと云うまさに品行方正を絵に描いたような男だったが、その一方で人と関わる事が苦手な不器用な一面も持ち合わせていた。
「……これでも部長だからな。」
彰人は気恥ずかしそうな様子から立ち直ったのか、2人の顔を眺めながらもやや曖昧に答えた。
「あ、それと総一郎、また今日も夜まで勉強か?」
更に彰人は軽く付け加える。総一郎と呼ばれた少年が後手を組みながら冷ややかに彰人を見つめた。彼は技術情報部の副部長であり、彰人は部長という立場である。当初、技術情報部は他にも部員がいたのだが、退部する生徒が多くいたために現状は2人しかいない。そのため、部員集めに苦心する2人だった。
「……勉強は確かにある。だけど関係無いよ。やることはやると決めているから。」
人形の様に端正な表情を崩さないまま総一郎が淡々と答える。彼は父親が県内の脳外科医を勤めており、彼自身も将来は医療に携わる人間になろうと考えているらしい。
この時期も本来ならば猛勉強しないといけないはずなのだが、彼も父親と同じく賢い。その総一郎が大丈夫なら問題はないのだろうと彰人は信頼していた。
「そうか。じゃあ、遅くなってもなんだから、部活にでも行こうか。」
彰人のその言葉に2人は頷いた。教室から廊下に出た彰人は階段を登り3階へと向かう。3階は三年生の教室が割り当てられており、丁度その向かいに技術情報部の部室があった。
総一郎が持ってきた鍵で錠を外し、教室に入る。総務院高校の3階にある技術情報部は防犯のために最近は鍵がかけられていた。どうやら最近は不審者が目撃されているから、その用心のためだという。
(……やっぱ、ここの雰囲気好きだな。)
彰人は感慨深げに目を細めながら教室を眺めた。机の上に置かれたVRの装置はスタンバイ状態であり、そこから覗くプラフスキー粒子によるぽぅ……と青くぼんやりと輝く光を見ていると、現実の煩わしい雑務や将来に対しての不安も忘れる事が出来た。だが、それが現実逃避であることに変わりは無いという自覚ももちろんあった。
——GBA(ガンプラバトルアドバンス)という仮想空間世界。近年、VR技術に加えプラフスキー粒子という特殊な粒子が発見されたことにより、従来のVRよりもさらにリアルな仮想空間を生成することが可能となっていた。なお、この技術と粒子はイルミナカンパニーという一企業が独占しているらしい。
彰人は一息ついた後、バックからごそごそと何かを取り出す。取り出したのはプラモデルだ。
“機動戦士ガンダム”という作品に登場するMSと呼ばれる人型のロボットである。既に放送は何十年も前に終了しているが、過去にプラフスキー粒子を使ったプラモデルを戦わせる競技、通称ガンプラバトルの流行により今だにプラモデルが根強く販売され続けている。
彰人本人も作品の大ファンであり、幼い頃に作中に登場したこのキラキラと輝く機体が堪らなくかっこいいと思えたのだ。
「彰人君。アカツキとデルタガンダムって豪華な組み合わせだよね。」
総一郎は目を輝かせながらそう答えた。彰人は彼のこの表情が好きだ。普段とは違ういきいきとした表情。受験勉強を削ったとしても彼はバトルがやりたいほどの”病的”なガンダムマニアである。
普段は仏頂面の彼がバトルの時だけは心の底から楽しそうな顔を浮かべるのなど、他のクラスメイトは知らないだろう。
(ああ……総一郎。お前は本当にもったいない。)
そう彰人は改めて思いつつも嬉しいのだった。脳外科の息子という境遇から周囲から過剰な期待を求められる総一郎。しかしそれは外面良く演じている彼自身であって素の彼では無い。
こうした素の自分をさらけ出せる環境に加えて瞳をきらめかせながらはしゃぐ総一郎の姿。自分に対してありのままの姿を見せてくれるこの友人を彰人は心底気に入っていた。
「そろそろ電気付けるね。」
文香はそう言った後パチり、と部屋に取り付けられた電灯のスイッチを付ける。彼女は技術情報部では無く料理同好会の会長なのだが、部の立ち上げの際に彰人と総一郎が無理を承知で教師に頼み込み、同好会と部の教室を確保したのだ。
本来ならば同好会に部のスペースは与えられないのだが、特例が認められた。そのため文香をはじめとする料理同好会もこの部には感謝しているのだった。いつもの3人が揃ってこの技術情報部は成立しているといってもいい。夕陽が窓から差し込み、部室内に穏やかな時間が流れる。
———GBAのホログラム生成装置が青白い光を放ち起動する。
第1話に続く
最初のコメントを投稿しよう!