第三話

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 モネといえば、日本でもその作品を目白押しとした展覧会は数年に一度、いや、近年では年に一度といっていいほど開かれる、最も人気の印象派画家の一人だ。  光と風の覇者と称されるとおり、雲がそよぐ空や揺れる水面を(えが)くのを得意とし、初めて美術に触れる者でもその魅力は理解しやすい。  中でも、画家の大作「睡蓮」は、自身の身長をゆうに越えるカンヴァスに——連作ということで、数多カンヴァスのサイズの違いはあるのだが——自宅の庭で水面に美しく咲く花を描いたものであり、その色彩と光の表現力はいまもなお多くの人々を魅了し続けている。  とはいえ、ももはその「睡蓮」をその目で実際に見たことはなかった。名前を聞けば、「ああモネの」とすぐに思い浮かぶものの、それらはすべて映像や写真で二次的に目にしたものだった。だが、それでもモネの庭と家を訪れると、写真で見るよりもたしかに美しいその景色に、連日バス乗り場に長蛇の列ができる理由にも頷けた。  緑と色とりどりの花で満ち溢れ、そこかしこにモネの息吹を感じる様は、さすがフランス有数の観光地である。  特に、日本庭園をモチーフに作られた庭は、睡蓮こそ時期的に咲いてはいなかったもののどこを切り取ってもすばらしい絵になるようだった。それに、池にかかる太鼓橋や、水面に浮かぶ丸い葉、ももたち日本人にとっては馴染み深いそれらを、何万キロも離れた地で目の当たりにできたのは、どこか郷愁深いものがあった。  だが、悪く言えば、それまでだった。  ひととおり目ぼしい箇所を巡り終えて、睡蓮の庭からの帰りに、ももは画廊(ギャラリー)にも寄った。  二十世紀初頭、モネを敬愛するアメリカ人印象派画家たちが数多く滞在したともあって、いくつもの画廊がジヴェルニーの村には点在している。画廊と聞くと、つい銀座や六本木などのアート・ギャラリーのようにいかにも敷居の高い印象を受けるが、比較的、カジュアルな画廊もあるようだった。その中でも、ももはクロード・モネ通りに面した、ガラス張りの小さな画廊を選んだ。  人が十人も入ったらきつくなるであろう広さのそこには、風景画ではなく油彩を殴りつけたような絵画が飾られていた。 「すべて、あなたが?」  ぐるりとギャラリーを見回して、エントランスに佇む男性に声をかけると、彼は嬉しそうに笑みを浮かべながら頷いた。 「はい。奥の作品を除いて、すべて自宅のアトリエで描きました。あの二枚は、パリの画塾で」  壁に掛けられた大小異なる十数枚のカンヴァスからは、いずれも描かれた対象物のはっきりとした形を認識することはできない。これが芸術だと言われたら、その是非はわからないが、なんとなく、芸術(そう)なのだろう、ももは青年の指先を追いかける。 「モネの庭を見てきたばかりだから、なんだか新鮮」  奇抜な色彩はどことなくアンディ・ウォーホルのマリリン・モンローを彷彿させた。囁くように紡ぐももに、彼は後ろ手に手を組みながら笑う。 「よく言われます。でも、ありがたいことに、その言葉こそ僕には褒め言葉なんですよ」  印象派の生きた村で生まれ、彼らの愛した風景とともに育ち、物心ついたころには彼もまたモネを愛していた。だが、他人が羨むような環境で生きていた彼の情熱は、ふしぎなことにモネと同じく印象派というベクトルに重なることはなかった。 「自分の中にある感情や見えているのに見えないなにかをこうして描くのが、楽しくて堪らないんです」と、若き芸術家(アーティスト)は言った。  ただ絵の具を重ねただけのような絵にも、それぞれの思いが込められていて、意味をなさないようなものが芸術の前では数多(あまた)の意味を持つ。  ももの目の前にあるグレーのカンヴァスにも、れっきとしたタイトルがついていた。 「ラ・リュミエール()……」 「どうして、そんなタイトルをって顔してますね」  すみません、タイトルパネルを覗いていたももが謝ると、彼はなんてことのないように、いいえ、と自分の絵を眺めた。 「それでいいんです。それで」  落書きのように、灰色に染まった一枚のカンヴァス。彼はこれをどんな風に描いたのだろうか。どんなことを想い、はたまたどんな場所で描いたのだろう。そして、どうして「」というタイトルをつけたのだろう。  彼にとって、絵を描くことの意義とは。  濃い灰色の中に、一体、なにがあるというのか。  ももは、しばらくその絵と対峙していた。
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