第六話

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 通りかかった公園で朝食を済ませたあと、植物園やリュテスの円形劇場を地図で確認しつつ、ももはパンテオンまで向かった。  パンテオンの近くにはアンリ四世高等学校や名門グラン・ゼコール、はたまたパリ第四――ソルボンヌをはじめとするパリ大学があり、知的かつ聡明で、華美ではなく上品で優雅なパリジェンヌの気分を味わうことができる。  マレ地区ともモンマルトル地区とも違うパリの姿がそこにはあった。ヘミングウェイやフィッツジェラルドなどの著名作家が足繁く通った書店や、ピカソやセザンヌなどの利用した画材屋も、まるで当時の様相をそのまま現代に移行したかのごとく街に残っている。 「昔は、迷子になりながら歩いたっけ」  ヴィンテージ・パリの薫りに、数年前のことが蘇る。  六つ折の地図片手に、きょろきょろと辺りを見回す女子大生二人は、はたから見ればなんとも微笑ましかったことだろう。  なにもかもが新鮮で、あらゆることがとにかく良い刺激で――あの頃は一切を気にせず、すべてに目を輝かして歩くことができた。  リュクサンブール公園へ繋がるスフロ通りを下る前に、ももは振り返る。  青空に(そび)える、真っ白なギリシア建築が目を灼いた。 「まぶしい」  ずきん——ずきん——と、目の奥が、胸の奥が、大きく軋む。  ひとりは、楽だった。誰にも期待されることもなく、裏切られることもない。そうして立ち止まったももを、何人もの人々が追い越していく。  誰も、“わたし”を知らない。そう、彼女の顔を窺い見る者がいたとしても、彼女が誰であるかなど、誰も、気にしない。  ゆっくりとその双眸を閉じると、ももは踵を返し、坂を下っていった。
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