第七話

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 それきりなにも言わなくなったシモンに、彼女も口を結んだ。  いつものように淡々と制作を始めたその横顔を見つめる。  額にさらりと落ちたグレーの髪、深い眼窩には影が落ち、伏せられた銀色の睫毛は、彼の瞳に合わせて微かに揺れている。  画家のまなざしは、冷えきったロダンの彫刻のようでもあった。だが、それがひとたびカンヴァスの上を滑りだすと、とてつもない熱を帯びることをももは知っていた。  誰も触れたことのない、彼女自身も知らない心の奥深くをくすぐり、喉を疼かせる、そんな熱を。  目の前のカンヴァスを撫で、シモンはその指先に色が付かないことを確認すると、そばにあったパレットを手にとった。だが、すぐに描きだすことはなく、紫煙をくゆらせながらじっとカンヴァスを観察し続ける。  そこに描かれていたのは、ヴェルノンの街並みだ。あの光の溢れる風景——ではなく、青く灰色がかった宵の街。  画面上部に広がる建物群の影の間に、ひとつ、ふたつ、と鈍く瞬く街灯が立ち尽くしているのが見える。全体的に、ぼやけた印象だった。  画面下部、街の手前には空と同じ白みの強いブルーグレーのセーヌがたゆたっている。  やがてシモンは細身の筆を手にすると、パレットの上にある色をとった。今にもこぼれんと花開くクチナシの色。青い世界にただひとつ浮かぶ、灯の色だ。  それをとっぷりと宵に暮れるセーヌ川に載せていく。音も立てずに、輪郭を失った亡霊が水面に映り、ももはその絵画の全景を知った。  ああ、これは、ただの宵ではない。雨に霞むヴェルノンの街だったのだ。  こんな、夜の街を知っている。すべてが滲んだ、暗澹とした夜を。ももは思わず喘いだ。  震える指先で口を覆う。はげしくなる呼吸をなんとか整えようと浅く息継ぎを繰り返す。  シモンのまなざしは、すでにももの纏ったヴェールを手繰り、隠された柔肌を探り当てていた。  メランジュのニットの袖から伸びる手には太い血管が浮かび、小刻みにカンヴァスの上を動いている。なんとも逞しい男の手。だが、まるで頬に落ちた雫を親指で掬ってくれるような、やさしい手でもあった。  鼓動が速くなる。  呼吸が、いっそう浅く、はげしくなる。 「ムッシュー」  ももは喘ぐ。  シモンは、ウィ、と短く返事をした。
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