第十一話

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 翌日、カーテンから射し込む日差しに目を覚ました。  ここまで、熟睡したのは久しぶりだったかもしれない。薄暗い部屋に、小さな小さな埃がキラキラと舞っている。肌を包む空気はすっかり冷えて鋭くなっていたが、けして寒さを感じない。  自分の右隣には、シモンがまだ覚めない夢の中にいる。大きな体を、窮屈そうに折り曲げている様は、なんだか大型犬のように見えなくもなかった。ドーベルマンほど鋭く屈強な感じはしないから、シベリアンハスキーか、シェパードか、あるいは、ボルゾイ。  そんなことを考えながらできる限り物音を立てぬように寝返りを打ち、ももはこちらを向ている男の顔を眺めた。 「……かわいい」  落ち窪んだ目元には、これまで送ってきた人生を刻んだかのようにいくつかの線が見受けられるが、まぶたを閉じた男の顔はどことなくあどけなさを残していた。気難しく寄せられる眉根も、意地悪く細められる瞳も、それから歪められた唇も、今はそこにはない。  ももは彼の面立ちを目でなぞった。露わになった額に光を集める銀色の睫毛、それから高く通った鼻すじ、なだらかな頬、薄く開かれた唇。やはり、きちんとすればかなり整った見た目になるだろう。ロダンの彫刻、あるいは中世以前に彫られたオリュンポスの神々。ただこの瞬間は、薄っすらと生えた無精髭すら彼を野暮ったい無垢な少年に見せているのだが。  この人が、あんな筆使いで絵を描くなんて。思わず、手が伸びる。頬と、顎と。やさしくなぞるたび、指先にふれる髭がこそばゆい。  小さな光の結晶が舞う中、シモンが身じろぎをした。額にかかった髪をよけ、そこへひとつキスを落とすと、ももはベッドから這い出た。  起き抜けのコーヒーでも淹れようかと伸びをして、まず向かったのは洗面所だ。  少々うろこのついた鏡の前に立ち、ももは手ぐしで髪をとかす。きちんと乾かさずに寝たからか、髪は軋み絡んでいる。気怠さをどことなく残した手つきで、念入りにほどいていく。だが、途中でその手はぽろりと落ちた。  なんて顔をしているのだろう。瞳に映る自分の姿に茫然とした。  薄っすらと熱の宿った頬に、濡れた瞳。唇はカサついているが、始終やわく弧を描いている。  それはまさしく、「女」の顔であった。  そんな、まさか。かぶりを振って、ももは顔を洗う。だが、その顔がとれることはない。泣きそうな表情で笑って、ももはもう一度首を横に振る。  ——どうか私を愛さないでくれよ  脳裏に男の声が掠める。  白い指を毛先に通し、何度かとかしたあと、ざっくりまとめて洗面所をあとにした。
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