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第十二話
二人の生活は続いていた。ただ、寝食をともにするからといって、そこに情事も含まれているかというと、それはまた別の話だった。
しとしとと雨の降る朝、シモンが目の前の壁を飛び越えてももの領域に現れた日以来、彼らは体を重ねてはいない。
ひとつのベッドで隣合わせに眠ってはいるが、そこには暗黙の不可侵条約が結ばれていた。かえって、それがこの生活を心地よくする理由でもあったのかもしれないとももは慮った。
ある朝、雨が降った。
「いい匂いね」
雨上がり、大地から上がる匂いのことをペトリコールという。土と草木と、水、それからほんの少しの油っぽさ。どことなく、心が弾む匂いだ。
小さいころは雨の匂いと言っていたが、実のところ雨自体に匂いはない。土壌や岩石などに蓄積された、植物由来の物質が雨が降ることによって大気中に散りばめられるのだ。
その神の恵みを胸に抱き締め、ももは窓の向こうを見遣る。朝まで大粒の滴が空から降りしきっていたためか、辺りには霧がたちこめていた。
「雨が止んだか」
シモンはカンヴァスを滑らせる手を止めた。
「まだ。でも、さほど強くはないわ」
「そうか」
制作の途中で彼が筆を置くことは珍しい。どうしたものかと木椅子から立ち上がった男をももは観察する。
無造作に伸びた髪をふるい、気怠く手でかきあげながら彼は居間へと消えた。だが、五分もせず、ダークグレーのシングルボタンのコートを身に纏って帰ってきた。
「ついて来るか?」
銀色に近いヘーゼルの瞳がももを射抜いて、陶然と彼女は頷いていた。
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