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「あるときまでは、自分の人生はこのまま順風満帆に進んでいくのだと思ってたわ」
会話のただ中に立ち止まり、ぽつり、打ち明けたももの頬をシモンの逞しい手が撫ぜる。
「けれど、あっけなくわたしは船から落ち、海の藻屑となった」
その温もりにどこか泣きそうになりながら、ももは続けた。
「彼とは大学生のときに出会ったの。友人の紹介で、わたしのことをかわいいって言っていたんだって。ラグビーをやっていて、あなたほどじゃないけど、体はがっしりしていた」
いかにも大学生らしい出会いだった。バイトが終わったあと、電車に乗って彼に会いに行った。がやがやと周囲の雑音に塗れた繁華街で、ももは彼と出会った。
シモンはなにも言わず、ただ彼女を見つめている。
「芯が強くて、嫌なことは嫌と突っぱねる性格で、でも明るくて、どことなく憎めない人だった」
自分にない魅力に溢れていたひとだった、とももは思う。毎日外を駆け回っているような生活スタイルから、シャツにナポリタンのソースが飛んでも、まあええか、と笑う豪傑さ。笑うと目元がくしゃくしゃになる人だった。でも、それ以外はどんな顔をしていただろう。
さほど前ではないというのに、もはや彼の顔の成り立ちを細かに思い出すのは難しい。声も、表情も、まるでアルバムの一枚を眺めるように曖昧で、彼がもはや記憶の人になってしまったことを物語っていた。ただ、皮肉なことに身体に残った痛みは鮮明だ。
無意識に腹部に手がのびる。そこへ、頬から肩、腕を伝い、シモンの手がそっと重なる。
「付き合って五年を過ぎたころ、明らかに様子がおかしくなった。遊ぶ予定を忘れられたり、連絡が取りづらくなったり。かと思えば、ご機嫌とりにブランド物をプレゼントしたり。原因はすぐにわかった。会社の子と浮気をしてたの」
理由は、自分の出来心だと言った。忙しく、教師というステータスのある自立した女のももに比べ、近くにいる手ごろな同時入社の高卒の子をとったのだ。
「ショックだった。何回も別れ話はあったけれど、その少し前までは互いの親に挨拶しようなんて言葉がでるくらい、順調に思えていたから」
喉に唐突な閉塞感を感じて、ももは唾を飲み下す。
「別れようと思った。彼を一番にとれなかったわたしも悪かったと思ったし、それなら心機一転スタートしようって」
その矢先に、妊娠がわかった。
シモンのしっとりとした美しい虹彩から視線を落とし、シーツに寄ったシワの数を数える。
「どうしよう、って思ったのと同時にね、うれしかったの。わたしは子どもを産むんだって。彼の子を産むんだ、きっとわたしは愛されるんだって。でも、結局うまくはいかなかった」
ももが気づかなかっただけで、それまでも彼は何人かと関係を結んでいたようだった。結婚を機に改心してくれる望みをかけたが、もはやそれは病気の域に達していたのだろう。『ヤスヨちゃん』という女の子との浮気を機に、すべてが崩れた。
愛する人からの裏切りとは、どんな拷問を与えるよりも容易く、その人格を崩壊させることのできるもっともな手段だ。
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