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一時間ほど車に乗ると、久方ぶりにパリの景色がももを迎え入れた。
洗練された街並みが薄く灰がかった窓越しに過ぎ去っていく。まるで、映画が流れているかのような景色だった。
動揺のあまり憔悴しかけていた彼女を気を遣ってか、車内での会話はほとんどない。だが、耳障りの良いジャズの奏がももの沈みゆく思考にそっと寄り添ってくれるかのようでもあった。
車はグラン・パレを左手にセーヌ川沿いを走る。コンコルド広場の前で左折し、ロイヤル通りからマドレーヌ通りまで抜けていく。すっかり寂しくなった街路樹を眺めながら信用金庫を右手に角を曲がると、それからまた側道に入った。
白を基調としたアパルトマンが並ぶ、気品に満ち溢れたこの通りには、『Rue Cambon』という標識が建てられている。
カンボン通りといえば、三十一番地。世界有数のハイブランドが本店を構える、いわば一等地とも名高い通りだ。目と鼻の先にはヴァンドーム広場があり、つまり一本通りを越えた先には、かの有名なリッツ・ホテルが聳えている。
そんなファッションと流行の歴史を感じさせる通りを、一台の高級車が速度を落として走っていく。
ブランド店の看板を超えた先で、ジャン=クロードは車を停めると、「ここで待っていてもらえるかい。すぐに車を置いてくる」とももを下ろした。
初めて訪れる洗練された白亜の通りに、彼女はぎゅっと目を瞑って顔を下げずにはいられなかった。
すぐそばを何人もの観光客が過ぎていき、ジヴェルニーとはまるきり違う世界のようだ。パリには慣れたはずであったが、どこか落ち着かない心地だった。
間もなく、ジャン=クロードはこの街並みに見合う容姿を携えて、もものもとに戻ってきた。
「こちらへ」とひと言添えると、香水店の脇からアパルトマンの階上へとももを案内した。
バロック調の荘厳な造りを残したその三階部分。『ギャラリー・ベルジュラック』と金字が刻印された重々しい扉が彼らを迎え入れた。取手は真鍮でできており、細かな細工までもが煌びやかで、それすらも芸術的だ。
「どうぞ。マドモワゼル」
所在なさげに立ち尽くすももを、ジャン=クロードは微笑を浮かべて中へと誘う。
扉が開いて、その先に広がる世界に、ももは呆気にとられた。高い天井に煌々と瞬くシャンデリア。まるでギャラリーというよりかは、貴族のサロンというのが当てはまる。
「その昔、ここは代々ベルジュラック家の所有するアパルトマンのひとつだった。南方からやってきた弱小貴族ではあったが、とりわけ芸術には昔から理解の強い家柄でね」
同じフロアに何軒もの家族が入ることのできる一般的なアパートとはちがい、フランスのアパルトマンの多くはオスマニアン建築方式がとられている。パリの発展期である十九世紀、ナポレオン三世下のオスマン大改造にて用いられた建築方式だ。
一階には店や事務所が入り、中二階を飛ばして、三階には最も裕福な貴族たち用の大きな間取り、四階五階には次点の裕福な者、というように階が上がるにつれてその部屋面積は狭く装飾も簡素になっていく。最上階、一般的な屋根裏には、その昔売れない芸術家や貧しい人々が暮らしたという。現在は、学生などに貸し出されることも多いが。
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