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ももは彼の言葉を遮った。
「もう、十分よ」
悲痛な声が、乾いた室内にほどけていく。
「おねがい、おねがいだから、それ以上は言わないで」
耳を押さえて、祈るようにジャン=クロードを見上げた顔はなんと情けなかったことだろう。
「これ以上は」
なにもかもを拒絶した女を眺め、男は幕を下ろした。そして、涙に濡れた頬にシルクのハンカチを当てて言った。
「過去はあなたの手の中にある。それだけは忘れてはなりませんよ、モモ」
ジャン=クロードはももをジヴェルニーまで送り届けた。
「遅かったな」
辺りは淡墨がかっていた。目映い光もかげり、丘は静けさに包まれている。アトリエで巻き煙草をふかしていたシモンは、秀でた額に落ちた髪の合間から優しくももを受け入れた。
「シモン」
ももは震える声で彼を呼んだ。
「どうした」
そのおかしな様子に気づいて、彼は立ち上がりももの頬にかかった栗毛をよける。
「——を、描いて」
太陽の色を遺した、淡い緑黄色がももを見つめている。
「わたしを、あなたの手で描いて」
おねがいだから、ももは男に縋る。これが、最後の望みであった。
シモンは瞑目し、小さくかぶりを振った。
「無理だ」
ももはぐっと唇を噛み締める。
「……すまない」
ただ謝罪を口にするシモンの姿を見て、ももは確信した。
それがすべての答えなのだ、と。ももが彼に対して抱いた、大きすぎる感情に対する、あるいは、彼らが描きつつあった未来に対する……。
ももは翌日、ジヴェルニーから離れる決心をした。
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