第十六話

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 サン・ラザール行きの列車に乗り、ももは滔々(とうとう)と流れ行く景色を眺めた。日が昇り、寒さからか辺りは霞んでいる。午後の目映い光に満ちたジヴェルニーはたいそう美しいが、今だけは、この白くくゆる景色が慰みだった。  朝霧の中をたゆたうセーヌは、その流れを止めることはない。彼女もまた、その流れに乗ってしまった。  左肩に触れる窓枠が、少しずつ、熱を奪っていく。  ももは、過ぎゆくジヴェルニーを眺めながら、雨上がりの森でのことを思い返した。  バライチゴを摘んだあと、二人は泉を訪れた。泥濘の中、足元を泥だらけにしながら森を進むと、小さな泉があった。泉といっても、湧き出した水が溜まった、少し大きな水溜りのようなものだ。魚がいるわけでも、小鹿が水浴びをしにくるわけでもない。それでも、霧立つ森の中に突如現れたそれは、やはり神秘さを醸し出していた。  かすな水のせせらぎを感じながら、ときおり、木々を野鳥が渡り、枝をリスが走るのをただ眺める。なんてことのない、ひとときだった。  空から落ちる葉が小舟となり水面をたゆたう。やがて透明な水の底に積み重なり、秋の色に泉を染めていく。いつものように、彼らの間にほとんど会話はなかった。会話なんて、必要なかった。しっとりとした空気が彼らを包み、互いの存在を感じながら、呼吸をする。ただ、それだけで、十分だった。ももだけではない、きっと、シモンもそうだったように思う。  まさに、その泉の澄んだ水底で、魂の底で、手を取り合っているような……。  雨が上がり、木漏れ日の間から射した光が、シモンの頬を照らす。かすかな光だった。それで、十分だったのだ。  だが、その光を浴びているときさえ、彼は過去の夢を見ていたのだろうか。  一抹の影を描くとき、彼は光を夢見ていたのだろうか。
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