第十六話

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 パリは相変わらず人が多かった。  サン・ラザール駅を出て、十二番線のメトロに乗る。ゆるやかに景色の流れる国鉄とちがい、メトロはトンネルの中を進み、()えた湿っぽさが鼻をついた。小さな箱に入れられて暗闇の中を進んでいく。必死で携帯の画面に食い入る人や大きなヘッドホンをつけてリズムを刻む人、新聞を読んだり、本を読んだり、はたまた、バイオリンとともに乗り込んで演奏をし始める人がいたり。すっかり、夢から醒めたようだった。  メトロの駅から地上に上がると、冷たい空気が頬を殴った。ウールのコートを羽織った会社員たちや、時代にとらわれないマニッシュな印象のマダム、それから、薄着の観光客たちが往来を行き交い、車や自転車が横を駆け抜けていく。マロニエの葉は枝から落ち、華の都パリと謳われるその誰もが一度は憧れる街並みは、冬支度をほとんど済ませているようだった。  愛が欲しいと歌うシャンソン歌手と、まるでうさぎのように跳ねるコントラバス、その向かいではハンチングをかぶった小粋な老人が口髭を揺らしながらアコーディオンを奏でている。哀愁に満ちたその音色はきゅっと胸を掴んで全身の力を奪っていく。だが、耳障りなサイレンが遠くからそれを阻んだ。  パリとは実に猥雑な街だ。なにもかもがそこにある。ときには、ありすぎるほどに。だが、同時に、肝心なものがないようにも感じた。その肝心なものがなにか、心にぽっかりと空いた穴を埋めるなにかを、もはやここに来て、ももは探そうともしなかったが。  腫れぼったい目元を押さえて、往来を進む。歴史ある軒並みを眺めながら大通りから一本わきに入ると、ももはある場所を目指して歩いた。  観光客が白を基調としたショップバッグを持って歩いている。ほのかに香ばしい秋の香りではなく、洗練されたパリの香りがした。そうして白亜の道を進み、ももは一軒のアパルトマンに入った。
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