第十六話

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 真白に花を散らすブロンドの髪、青褪めた肌、そして、精彩を欠いた瞳。 「そんな彼を人々は、神の眼を持つ男だともてはやした。色彩はまるでここにはない楽園のように富み、彼の手によって生かされた人間は、この世で一番美しく、また、至上の幸福を手に入れた、と。だが、その栄華は長くは続かなかった。彼は彼の唯一の女神(ミューズ)を……」  そこで言葉を切って、隣にシワひとつない艶やかな漆黒の肩が並ぶ。 「マドモワゼル・モモ。ようこそおいでくださいました」  (うやうや)しく手を差し出し、やおら振り向いたももの手をとり、軽く口づけるしぐさを落とす。美しい金糸が揺れ、冴えた碧眼がまみえた。  その双眸がはっきりとももを貫くと、彼はやわく微笑をたたえて、「どうぞ、こちらへ」と彼女をエスコートした。  厳かな廊下を進み、やがて暖炉と中央に革張りのソファのある部屋に案内された。窓には緞帳(どんちょう)がひかれ、天井からは目映いシャンデリアが吊るされている。 「逃げるのか」  ジャン=クロードはアール・ヌーヴォーの美しい陶器のカップに紅茶を注ぎながら言った。 「……ええ。軽蔑しますか」  ふわり、香ばしいダージリンの香りが鼻腔を擽る。隙のない所作を眺めながらももが言葉を返すと、ジャン=クロードは、「いいや」と注ぎ口の紅茶を切った。 「砂糖は?」 「いいえ、結構です」  よろしい(bien)、と小さく呟いて、ジャン=クロードがカップをももに寄越す。メルシー・ボク、とももが恭しくそれを受け取ると、彼は唇の端を微かに引いた。 「パリを発つのは?」 「少なくとも、来週には」 「なるほど。チケットはとれそうかい」 「ええ、バカンスも終わっていますし、日にちと時間を選ばなければ、エール・フランスの直行便がとれると思います」  湯気のたつ紅茶に軽く息を吹きかけて、小さく口をつける。ジャン=クロードは父親のような顔で、だが、その実さして興味のない様子で、それはよかった、と言った。  厳かな空気が漂っていた。重々しい緞帳は城主の手によって窓の端にくくりつけられたが、アンティークの調度品たちは秋の陽射しにここぞとばかり瞬いた。カップのはらをさりげなく撫でて、そのなめらかさを味わう。白い陶器の中で、紅茶が琥珀色の美しい色彩をたたえている。 「逃げることは立派な戦略のひとつだ」  ジャン=クロードが窓辺に立ち、外を眺めながら独り言のように言った。ももは、顔を下に向けたまま、目だけで彼を一瞥した。 「獰猛(どうもう)さ、果敢(かかん)さを称える風潮は、はるか昔に終わったからな。いまや我々の前には幾重(いくえ)もの道が連なっている。そのうちのひとつを選びとるだけのこと」  ジャケットを脱ぎ、ベスト姿で腕を組んだその立ち姿はひどく様になる。それこそ、まるで彼がであるように。
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