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窓の向こうになにが映っているのか、ジャン=クロードの碧い瞳が静かに下を見下ろしている。カンボン通りに面した窓だろうか。だとしたら、真下にはのんきな観光客の姿が行き交うに違いない。ももは再び、カップのはらを撫でる。
「ただ」
ジャン=クロードが静かに言った。
「逃げた先が底なし沼じゃ、かなわないなと思ってね。本当に、どいつも、こいつも」
珍しく唸るような声に、ももは瞠目し、顔を上げた。
外を見ていたはずの瞳とかちあった。
「沈むかもわからないのに、船体が波に揺れただけでとち狂った人間は海に飛び込もうとする。あたかもそれが最善だと思ってな」
鋭く、心の裡を見透かすような瞳であった。シモンのようなささやかな優しさも温もりもない、厳しくも、確かな、まるで絵画を見定める職人の眼。
「だが、飛び込んだ先になにがある?」
うすく、にびやかな日差しが男の頬を照らす。顔の左側には、影が重くかかっていた。
ごくりと固唾を呑んだももに、やがて男はたおやかに笑む。
「人間が変えられるのは未来だけだと思っていますか、モモ」
今度は、まるで、神に罪の告白をするときのようだった。敬虔なクリスチャンでもないというのに、あたかも大聖堂でマリア像を見上げているような、不思議な気分になった。
「過去も、変えられると言うのですか」
たどたどしく細切れにももが紡ぐと、窓際のマリアは笑みを深め、艶美さを際立たせた。
「あなたがとてもよく知っているはずですよ」
音も立てずに、ジャン=クロードはもものもとへ歩み寄る。
「あなたは、わたしが過去を手にしているといいました」
「ええ」彼は頷いた。
「今も変わらず、紛うことなく、あなたの手の中にある」
シモンの手とは違う、まさしく商売人の小綺麗な手がももの白い指先をとる。
「シモン・ロンベールという男と初めて出会ったときと、彼の中に影を見出した今、あなたの中にどのような変化が起きているのか。いや、あの男と出会う前と今、と言ったほうがより懸命か」
恭しくその指先をなぞり、手のひらを開かせ、それからやわく包み込む。
「モモ」
ジャン=クロードの碧眼がももを射抜いた。
「ほかではないあなたが一番よく知っているはずだ」
胸が小刻みに震え、情けのない吐息が唇から漏れる。そして、白い頬に一筋の涙を落としながら、わかりかねたように、あるいは、そのすべてを手にしたかのようにももは悲痛な表情を浮かべた。
ジャン=クロードは小さな手をそっと撫で、また、ガラス細工を扱うようにして彼女の膝に戻すと、ふと口元を緩めた。
「それで、今日はどんなご用で?」
いつもの貴族然としたジャン=クロードが現れ、ももは唇を噛みしめ、一度瞳を伏せてから答えた。
「……ある画家の絵を、買いに」
色素の薄い睫毛が揺れる。
「ほう、それはいかような画家でございましょう」
もったいぶったような物言いだが、それでいて嫌味でない洗練された雰囲気に、彼が一流の画商であることを感じさせた。ももは濡れた頬を指先で拭い答えた。
「ジヴェルニーに住む画家なんです。孤独で、優しく、あらゆる影を美しく描く、一人の画家です」
ジャン=クロードの目が大胆に細められる。
「マドモワゼル、お目が高い。では、どちらにいたしましょう?」
「雨のヴェルノンの街並みを。それから、西陽がたっぷりとそそぐ、ジヴェルニーの丘も」
震える声で、だが、はっきりと静かな城に響かせてももは言った。口にするたび、そして、彼の絵を思い描くたび、胸が熱く膨らんでいく。
「部屋に、飾りたいんです」
「左様で。きっと、すばらしい窓になることでしょう」
膨らむ想いを隠すことなく、ももは、「ええ、すばらしいんですよ」とジャン=クロードに泣き笑いを浮かべた。
「マドモワゼル、どちらへお届けに上がりましょう? ホテル、それとも、日本に送りましょうか」
ももはかぶりを振った。そして、はっきりとした声で言った。
「パリ七区のアパルトマンまで」
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