第十七話

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 埃っぽいような湿っぽいような、なんだか懐かしいにおいがする。たっぷりと腕に抱くようにそっとまぶたを下ろして大きく息を吸い込むと、その中にほのかに油彩の香りがした。  太陽が燦然(さんぜん)と降りそそぐ楽園に、木製の古びた作業台に腰を預けて、一人の男がたたずんでいる。長かった髪も、口元を覆っていた髭も、もうそこにはない。耳のあたりで切り揃えられたダークグレーの髪が光に透け、銀色に瞬いてはその端正な横顔を彩る。秀でた鼻梁(びりょう)は彼の顔に影を作り、その彫りの深さを際立たせていた。  風が吹き、金色のヴェールを纏った男の顔が、外へと投げられ、やがてゆっくりと弛む。 「モモ」  その声はまるで教会の鐘だった。湧き上がる感情を堪えもせずに、ももは男へ駆け寄った。 「愛してる。愛してるわ、シモン」  ももを受け止めた男は微笑んだだけで言葉を返さない。だが、きつく、きつく彼女の小さな体を抱いた。存在を確かめるように胸に彼女を押し付けて、何度も何度も呼吸を繰り返した。そして、ふたたび微笑むと、彼は「愛してる」と囁いた。  どうしようもないほどに、愛してしまったのだと。  シモンのかさついた唇がももの濡れた唇へと重なり、深く深く愛を(えが)いていく。小鳥のように啄ばみ、互いの吐息を余すことなく味わいあい、やがて彼らは生まれたままの獰猛な獣に生まれ変わる。だが、シモンは情熱的に互いを求め合う前に、ザッと台の上に置かれた絵の具たちを押しやって、ももをそこへ載せた。 「モモ」  彼の声は彼女を優しく撫でる。声だけではない、そのまなざしも、指先も、彼女の傷だらけの心をなぞっていく。 「私の愛しい太陽(Mon cher soleil)」  もはやなにも纏っていない彼女の瞳を見つめて、彼は言った。まぶしそうに目を細めながら、だが、しっかりと彼女をとらえて。  応えるように、陽を浴びてくっきりと映し出されたシモンの精悍な、獅子のような顔だちを、彼女もまた指先でなぞった。思慮深い額、秀でた鼻梁、窪んだ眼窩、なだらかな頬、髭が剃られさっぱりとしたあご、そして、薄く弧を描いた唇を。彼女にとってもまた、彼は光そのものであった。 「あいしてるわ、シモン」  胸に浮かんだ気持ちを惜しげもなく溢れさせる。  そして、彼はももを抱いた。彼の描いた数々の絵に見守られながら、熟した太陽の光を浴びながら、彼らはいつまでも愛し合った。
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