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エピローグ
2018年 夏
パリ左岸、中世の趣を残した街並みが続くサン=ジェルマン・デ・プレにほど近いとある通りに、一軒の画廊がある。決して広くもなく、そして豪勢だとも言えない小さな小さな画廊だが、そこに飾られた絵画が見るものの心に素晴らしい窓を作ると評判になり、連日多数の来訪者たちで賑わっていた。
純白の壁にかけられているのは、いずれも光と影の調和の見事な風景画だ。厳かに建ち並ぶアパルトマンやマロニエのそよぐ川縁、藍色の空に浮かぶ芸術橋と教会の双塔、あるいは、森閑とした雨の田舎町や烈日のそそぐ小麦色の丘。ハッと息を呑むほどに美しく、目を細めてその音を風を、その香りを感じてみたくなるほどに鮮やかに、そして、繊細にありふれた日常を描いている。
「いやあ、あのベルジュラックがまさかこんな庶民派な画廊を開くなんてな」
来訪者の一人が画廊を見渡して言った。
「ここ、あの、ギャラリー・ベルジュラックの資本なのか?」
「そうらしいぜ。なんでも、よりよく開かれた画廊を作りたいだとかなんとか」
連れの男は顎に手を当てて値踏みするように首を回す。
「金持ちの考えることはよくわかんねえなあ、こんなのただ見物客が増えたって全く売り上げになんないだろうよ」
言って興を削がれた様子で目を眇めている。
その横では、小さな少女が一枚の絵画を見上げていた。
「ママ、この絵、すごくいい匂いがする」
「匂い?」
「お水の、とってもいい匂い。おばあちゃんのおうちに遊びいったときにいつもお庭でする匂い」
後ろから母がその背を抱きながら、一緒になって絵を見上げている。
「そうね、とても、いい匂い。緑と、土と、川の、幸せな匂いね」
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