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 小三の秋だった。  学校の帰り道、あと少しで家に着くあたりで前方に停まっている車が見えた。片側は畑、片側は赤や緑の屋根を乗せた家並みの間の、車がやっとすれ違うことができるぐらいの道幅に地元の人は車なんか停めない。横を通り過ぎる時、助手席の窓がすーっと開き、サングラスをした女の人が「この辺で一番近いお医者さんてどこぉ?」と派手な色のついた声でおれに聞いた。  お医者さん……、て歯医者? 眼医者? 「えーと、」と前方を指そうとすると、指の先に挟んだタバコの煙をフーッとこっちに吹きかけ、「案内してもらおっかな」と言い終わらないうちに後部座席のドアが開き、ぬうっと現れた巨体に腕をつかまれ車に引きずり込まれた。 「あ」とか「ぎゃ」とか言うヒマもなかったのか、言ったのか。 『あぁちゃんはほっぺがつるんとしてキュッと小顔だよね』と母さんがよく言っているおれのコンパクトな顔の下半分を大きな手でつかむように押さえているのは、さっきの巨体だ。スモークがかかった窓から、暗い青空にぽっかり呑気に浮いている雲が見えた。  動き出した車内にはもうあと二人の大人がいた。たぶん男と女。黒いマスクに黒い髪、車の中は黒でいっぱいだった。まだ自由のきく足を全力でバタバタさせると、黒い男女のうちの一人が『痛ってぇなぁ』と言いながらおれの靴を脱がし、足の裏に火のついたタバコの先を当てた。その傷みに何をしたって絶対にかなわない大人の力の強さを思い知らされ、涙も出ないぐらい怖かった。『あぁちゃんにニコッと笑ってお願いされると、いらないものでも買っちゃう』と祖母は言ったけど、この人達はおれが笑おうが泣こうが離してなんかくれないだろう。  さっき引きずり込まれた場所に、まるでごみでも捨てるように車から放り出された頃には、辺りは薄暗くなっていた。汗と涙でぐしゃぐしゃになった顔やヨレヨレの体操着を誰にも見られないように、走って、次の角を左に曲がってまた走って。五分もしないうちに家に着いた。ランドセルの中の教科書やノートの底から鍵を取り出しながら、早く早くと口走っていた。急がなくちゃ、またあの黒い人達が追いかけてくるかも。  誰も待っていない家の中は真っ暗でシンとしていた。まぁちゃんは修学旅行に行っていて明日の夕方まで帰ってこない。母さんは今朝「二十時頃には帰れるから、ご飯は先に食べててね」と言っていた。 いつも通りのがらんとした真っ暗な室内に寂しさを覚える暇もなく、慌ててお風呂場に駆け込み着ているものを全部脱いだ。いやなにおいが付いた体操着や下着、靴下をそこらへんにあるシャンプーやせっけんで洗い、四人に舐められ、触られた身体を念入りに洗って何度も何度もうがいをして口をすすいだ。  二十時を過ぎて帰ってきた母に、二階からおかえりとだけ言ってベッドにもぐり込み頭から布団をかぶった。誰にも言うわけない。自分に起こったことを口にするのも恐ろしい。いやだ。どこか遠くにいる父さんでも、さっき帰ってきた母さんでもない、今すぐまぁちゃんが帰って来て隣で眠ってくれたらいいのに。それだけを願っていた。  森の部屋から解放されるまでの数時間、おれは獣の辱めをみすみす受け入れたわけじゃない。身体が引きちぎれるぐらい抵抗もし、逃げようともした。けれど、母や兄の手前、容易に目につくところに派手なけがをするわけにはいかない。小三のあの時の記憶がぐちゃぐちゃに蘇り混乱する脳内を必死になだめ、落ち着かせ、悪夢のような時間が一刻も早く過ぎるのを待った。頭の中では、その場にいる奴らをひとりずつ呪詛めいた言葉のナイフで刺し、助けを乞う鼻先を蹴り上げ、煉獄の火でひとかけらの炭も残らないぐらいにあぶり殺すさまを思い描いていた。
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