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第1話
「いらっしゃいませ、どのようなものをお求めですか?」
花梨は感じのいい声音で尋ねた。押しつけがましくならないよう、あくまでも控えめな問いかけで。
日が傾き始めた夕方の四時を回った頃、彼女が勤務するフラワーショップに若いサラリーマン風の男性が訪れ、花束が欲しいと言ってきたのだ。あまり女性に花を贈り慣れていなさそうなその男性は、花梨の質問に照れくさそうに答える。
「えっと、結婚記念日に妻に花束を送りたくて――」
「それはおめでとうございます! ではまず、奥様のお好きなお花やお色がございましたらお伺いして、ご希望に沿った花束になるようにいたしますが」
「妻はピンクが好きで、どんな花が好きなのかは……よく分かりません。でも、可愛らしいのが好きだと思います。あ、予算は五千円くらいで。初めての結婚記念日なので奮発して!」
男性の一生懸命な説明にうんうんと笑顔で相づちを打ちながら、花梨は頭の中でパラパラと花図鑑とアレンジのパターン帳をめくっていく。
「では……そうですね……、ピンクのバラをメインにして、同系色のカーネーションを何種類かとスターチスでボリュームを出し、この赤いヒペリカムでアクセントをつけていきましょうか。さらにあそこのドラセナという葉をカールさせて配置すれば、可愛らしくもゴージャスな感じに仕上がると思うのですが……」
ディスプレイしてある花を指差しゆっくりめの口調で説明をしながら、男性の顔をチェックすることを忘れない。彼が口にしていた言葉からも、花にはあまり詳しくないのがうかがえるので、きっと『おまかせ』になるだろうと、花梨は予想する。
一通り聞いた男性は、ほぅ、と息をついた。そして案の定、
「今ので大丈夫だと思います。全部お任せします」
と、小刻みに頷いた。
「かしこまりました。お時間十五分か二十分ほどいただきますので、その間、結婚記念日のメッセージなど書かれてはいかがですか? カードはサービスでおつけいたしますので」
「あ……じゃあ、お願いします」
花梨から可愛らしいカードとペンを受け取った男性は、彼女から勧められた椅子に座り、テーブルの上で首を捻りながら文言を考え始めた。その間に、花梨はさっき列挙した花を選んでいく。
メインのバラを取り、そこにカーネーションを三色ほどとスターチスを足していく。ヒペリカムの赤い実がそこここに入ると、可愛らしくも全体が引き締まって見えるし、ゴージャスにもなる。ドラセナは葉先をクルンとカールさせてホチキスで留める。
花束はバスケットのアレンジメントやブーケとは違い、正面からしか見ることはないので、その視点からチェックしながら束ねていく。束を下から見ると茎がらせん状に重なるように花を足していけば美しい束になる。スパイラルという手法だ。
花梨は左手で束を持ちながら、少しずつ角度を変えて一本一本挿していった。
そうして出来た束の切り口を、輪ゴムや濡らしたペーパーでまとめ、淡いコーラルピンクの不織布とセロファンでラッピング。その上からローズピンクと白いリボンをかけて、最後にその姿をもう一度チェックした。
ピンクピンクしてはいるが、赤と緑のアクセントがあるのでぼやけず、可愛らしくもボリューミーな花束になったのではないだろうか。
(うん、我ながら可愛くできた!)
花梨は満足げに頷いた後、男性の方を見た。彼の方もどうやら少し前に書き上がったようで、花束を作り終えるところを眺めていたらしい。目を輝かせながら、財布を取り出していた。
「お待たせいたしました、こんな感じでいかがでしょうか?」
花を優しく差し出すと、男性はこくこくと頷く。
「すごくきれいです! ありがとうございます!」
「お気に召していただけて、こちらこそありがとうございます。カードはリボンの上にテープで留めておきましょう」
花梨はカードを受け取り、外側のセロファンに白いリボンの端と一緒にテープで留め、その上から金色の型押しのシールを貼った。
会計を済ませると、花束を受け取った男性は満面の笑みで会釈をし、店を後にする。
「ありがとうございました!」
店先まで見送りに出たところで、ちょうど一本向こうの道路を救急車が走っていったのが見えたが、そのサイレンの音に負けない声と笑顔で花梨は応えた。
三浦花梨がこのフラワーショップ【シフォンベリー】で働き始めて三年が経つ。とは言っても、この白山本町店は開店してまだ半年ほどしか経っていないのだが。
元々は花梨の両親がこの桜浜市で花屋を営んでおり、その地道な営業が実を結び、今では地元のスーパーやショッピングモールにテナントとして入っているチェーンとなっていた。
母は数カ所でフラワーアレンジメントの講師もしており、経営状況は安定していた。
花梨は小さい頃から両親を手伝っていて、短大の園芸科を卒業した後、本格的に店に出るようになった。そして二年半が過ぎる頃、この町に店舗を構えて働くようになったのだ。しかしまだ若く未熟であるので、両親は彼女の上に古い従業員を店長として据えた。
「――花梨ちゃんもすっかりお花屋さんが板についてきたわね」
「店長」
高野美津子は、十五年ほど前にパートとしてシフォンベリーで働き始めたが、勤務年数が五年を超えた後、正社員に登用された。そしてこの白山本町店で店長を任されることになったのだった。花梨の教育係も兼ねている。
花梨が小学生の頃からの顔見知りでもあるので、昔から『美津子お姉さん』と、姉のように慕って懐いていた。しかし今は上司と部下の関係であるので、店では店長と呼ぶことになっている。
「へへ、店長の教え方がいいおかげです」
花梨が力こぶを作ってみせた。
花屋の朝は早い。週に三日は花の競りが朝の七時から始まるからだ。そこで花を仕入れた後、店舗に移動して花を準備する。店の掃除をした後、冷蔵庫に保管してあるものは水揚げをして店内に並べていく。花の配達があればその準備をする。
そこまで終えてようやく開店となる。
接客の合間に鉢植えに水をやったり、花がらを摘んだり、リボンなど消耗品の補充をしたりする。
それが基本的な花屋での仕事である。
いずれは経営者になるかもしれないので、その方面の勉強もしなければならないのだろう。
でも今は花の扱いを勉強するので精一杯だし、お店に立つのは好きなのでそれでよかった。
「結婚記念日にお花なんて素敵ですよね」
「私なんて、もう何年も旦那からお花なんてもらってないわ」
数十分前に来た客を思い出しながら、花梨が言うと、美津子が肩をすくめた。
その時、花梨のエプロンのポケットに忍ばせてあったスマートフォンが鳴った。
「あ、すみません、店長。……お母さんだ……もしもし?」
店の外に出て電話に出る。相手は花梨の母、雅美だった。
『花梨? ちょっと大変なの。柚羽が外出先で倒れて、救急車で搬送されたらしいのよ』
姉の緊急事態に花梨が目を剥いた。
「柚羽が!? どうして? っていうかどこの病院!?」
『桜浜総合病院よ、ちょうどよかったわ、かかりつけの病院で。今ね、眞木先生が診てくれてるんですって』
(もしかして、さっきの救急車……?)
花梨は先ほどの客を見送った時に、サイレンを鳴らして通った救急車を思い出した。
「そう……じゃあ、私行く。そっちよりうちの方が病院に近いし」
電話をしながら、花梨はエプロンを外した。通話が終了すると、彼女は振り返り、美津子に告げる。
「すみません店長、柚羽が救急車で桜浜総合病院に運ばれたって……行ってきても大丈夫ですか?」
「もちろん。私一人で大丈夫だから、行ってらっしゃい」
美津子が早く行くように促してくれたので、花梨はエプロンをフックにかけ、店に置いてあった大きなトートバッグを掴んだ。そして、シフォンベリーの横に停めてある自転車を駆っていった。
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