第2話

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第2話

 桜浜総合病院は白山本町駅から歩いて十分強だ。この病院と駅との間に花梨の店がある。出店するにあたり物件を探していたところ、運よくテナントが空いていた上に、想定していた金額よりも安く借りることができた。  駅から若干離れてはいるものの、商店街の中の店舗であること、それに何より、大きな病院への通り道であることで、見舞客を取り込めると踏んだ花梨と両親は、そこへの出店を決めたのだった。  もくろみ通り、見舞いの花を求めて来店する客などに恵まれ、ありがたいことに白山本町店は順調に売り上げを伸ばしている。  こうして途中で抜けさせてくれる美津子に感謝しつつ、花梨は病院に駆け込んだ。  受付で柚羽の病室を尋ね、面会者シールを胸に貼る。そして東棟の二階に向かった。  姉の病室に入ろうとすると、どうやら看護師が来ているようで、カーテンが閉まっていた。中から話し声も聞こえてくる。邪魔をしたくなくて部屋の外で立って待っていると、少ししてカーテンが開く音が聞こえ、看護師が出てきた。その後ろ姿を見送って、そっと部屋を覗き込みつつ、中に入る。  病室は四人部屋で、右側の窓際が柚羽のベッドだ。花梨はそこまで歩いていくと、隣との間を仕切るように半分だけ閉められたカーテンの端っこから、ひょっこりと顔を出した。 「柚羽っ」  小さな声で話しかけると、ベッドの上で起き上がっていた柚羽が、花梨の姿を認めるや否や、嬉しそうに、それでいて申し訳なさげに微笑んだ。 「花梨、来てくれたのね。……ごめんね、仕事中だったんでしょ?」 「そんなことより、一体どうしたのよ、柚羽。何があったの?」  自分と同じ顔でありながら自分よりもずっと血色の悪い姉を、花梨は心の底から心配する。 「大したことないのよ、ちょっと貧血で倒れちゃっただけで。ちょうど検査時期だったから、このまま入院して精密検査しちゃいましょう、って、眞木先生がね」  柚羽は花梨の双子の姉だ。幼い頃から健康優良児だった花梨と違い、彼女は小学生の時から免疫不全系疾患による入退院を繰り返していた。投薬や対処療法のおかげで昔よりもよくなっているとはいえ、今もやはり人よりも身体が弱い。特にこの時期、季節の変わり目には免疫力が低下してしまい、倒れたりすることもある。  花梨は小さい頃からそういう状況を見て育っているためか、柚羽に対してはかなりの過保護ぶりを発揮してしまうのだ。 「もう……心配したんだから、柚羽」 「やぁね、大げさよ、花梨。これくらいどうってことないわよ」 「救急車で運ばれておいて、何言ってるのよ。……はいこれ、いつもの」  花梨は店から持ちだしたトートバッグから、カーディガンとブランケットを取り出し、カーディガンを柚羽に着せた。ブランケットは布団の上にかける。そしてバッグの一番下から洗面用具を出して、ベッド脇のキャビネットの引き出しにしまった。  その光景を見て柚羽が目を丸くする。 「え、これ家に取りに行ったの?」 「こんな時のために、お店に置いといたの」  当然、と言いたげな表情で、花梨が言う。柚羽はクスクスと笑った。 「大げさね……と言いたいところだけど、花梨の準備のよさに助けられちゃったわ」 「でしょ? お父さんとお母さんも後で来るって言ってるから、足りないものがあったら言うのよ?」 「分かった。いつもありがとう、花梨」  それから二人でしばらく話していると、花梨の後ろから男性の声が聞こえた。 「柚羽さん、お加減いかがですか?」  花梨の主治医の眞木直登(なおと)だった。穏やかな声音で尋ねてくる。 「あ、眞木先生」 「眞木先生、姉がいつもお世話になっております。今回もありがとうございました」  花梨は立ち上がり、深々と頭を下げた。 「花梨さん、もういらしてたんですね。さすがです」  二人の事情をよく知る眞木は、笑ってそう言った。花梨と柚羽は病院の一部スタッフからもはや『ニコイチ』扱いされているので、二人を区別するために、主治医の眞木や担当の看護師は二人を名字ではなく名前で呼んでくれる。 「先生、姉は大丈夫なんでしょうか」 「先ほど診た限りでは、病気が悪化しているとかいうことはなさそうです。明日詳しい検査をしてみますが、おそらく予定通り明後日に退院できると思いますよ」  眞木の言葉を聞いて、花梨は安堵のため息をついた。 「よかった……」  小声でぼそりと呟くと、柚羽が眞木に言う。 「私、妹のお店に行く途中だったんですよ」 「お店って……商店街にある花屋さんですよね」 「はい、それで駅を出たところで倒れてしまって。ちょうど通りかかった人が救急車を呼んでくれたんです」  柚羽は在宅でフリーランスのグラフィックデザイナーをしている。小さい頃から絵を描くことが好きだったので、それが高じてデザインの道を志したらしい。休みがちだったが専門学校も卒業し、その後はほぼ自力でウェブサイトのデザインからロゴやエンブレムまで、パソコンでできる仕事を地道にやってきたと本人は言う。  身体が弱いことから、おそらく普通に会社員として勤めるのは難しいのではないかと考えた柚羽が努力に努力を重ねて開拓した、社会人としての生き方だったのだと花梨は知っていた。  今日も仕事で使っているカラーペンを切らしてしまったので、買いに出たそうだ。その帰りに花梨のお店の様子を見て行こうかと、最寄り駅に着いて電車を降りたところでめまいを起こし、倒れてしまったのだ。 「柚羽、救急車呼んでくれた人は? もし連絡先とか分かればお礼言いたいんだけど」 「それが……何も言わないで行ってしまったのよ」  柚羽が倒れたのをいち早く助けてくれて、救急車を呼んでくれたその人は、彼女が眞木が主治医であることをなんとか告げたのだが、それをちゃんと救急隊員に伝えてくれたようだ。そのためにスムーズに眞木から診察を受けられたそう。 「そっか。でもいい人に助けられてよかったね、柚羽」 「ほんとそうよね」  二人は顔を見合わせて笑った。  三浦柚羽・花梨姉妹は桜浜市で生まれ育ち、二十四歳になった今でも市内の実家で暮らしている。  幼い頃から可愛らしい双子として近所でも評判だったが、二人をさらに有名にしたのは、彼女たちの対照的な気質だった。  柚羽が幼い頃からの虚弱体質で、見た目も儚げな少女だったのに対し、花梨は活発でいつも柚羽を守ってきた――というより、姉を守るために強くならざるを得なかったのだ。  柚羽がいじめられればかばってきたし、彼女が学校で倒れれば授業中でも飛んでいった。大学受験が終わってすぐに自動車の免許を取得して、何かあれば姉のために車を出した。   そのことで精一杯だったため、今まで男性とつきあった経験がない。チャンスがなかったわけではないが、どうしたって柚羽を優先させてしまうので、恋人に発展せずに終わってしまっていた。  けれどそれに後悔しているわけではない。これまでの人生にも、今の生活にも不満はなかった。 「柚羽、とりあえず私は帰るよ。また明日来るからね」 「ん、ありがとう。美津子さんにもよろしく伝えておいてね」 「分かった。……眞木先生、姉をよろしくお願いします」  花梨は眞木に向かってぺこりと頭を下げた。 「任せてください」  彼の優しげなひとことに安心し、花梨はきびすを返す。病室を出る時になんの気なしに振り返ると、柚羽の姿はカーテンで遮られて見えなかったけれど、ベッドのそばに立っていた眞木が目に入った。  柚羽を見ているであろうその瞳は――この上なく優しかった。
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