第3話

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第3話

「花梨ちゃん、昨日柚羽さん病院に運ばれたんだって? 大変だったのね」  翌日、美津子は休みだったが、中島(なかじま)里穂(りほ)がシフトに入っていた。彼女は結婚と同時に勤めていた会社を辞め、白山本町店のオープニングスタッフとして入ってきた。花梨より一歳上の利発そうな女性だ。  元々種苗メーカーで営業をしていた里穂は花について造詣が深く、また手先も器用だったのでアレンジもすぐに覚えてくれた。今やシフォンベリーの貴重な戦力だ。 「でも大したことなかったの。明日には退院ですって。申し訳ないんですが、午後に様子見に行きたいので少し抜けさせてくださいね」 「任せて。柚羽さんも花梨ちゃんの顔見たら安心するだろうし」 「そう言ってもらえると助かります。ありがとう、里穂さん」  それから花梨は、できる仕事はなるべく午前中で終わらせようと、忙しなく動いた。その甲斐あって、午後に差しかかった時には店内も雑用もきれいに片づいていた。  外出する前に里穂に昼休みを取ってもらい、その間の接客は花梨だけで行った。そして一時半を回った頃、一人の男性がシフォンベリーを訪れた。 「いらっしゃいませ! どういったご用向きでしょうか?」  朗らかに出迎えた花梨の顔を、男性は目を見開いて見つめてきた。花梨よりもだいぶ背の高いその彼は、見たこともないほどの美形だった。研ぎ澄まされた刀のように、ぞくりとするほどの鋭い美を帯びている。  見るからに高級そうなチャコールグレーのスーツに身を包んでおり、頭の先からつま先まで手入れが行き届いている。そのビジネスマン然としたシャープな印象が、ますます彼の美貌を引き立たせているように見えた。  全体的に落ち着きのある雰囲気に包まれているというのに、何故かきらめいたオーラをも身にまとっている。それがやけに眩しく見えて、思わず目を細めてしまうほどだ。  そんなキラキラした人からじっと見据えられ、一瞬ドキリとしたが―― 「……」 「あの……?」  あまりにも不躾な視線で、しかも上から見てくるので、花梨は柄にもなくたじろいでしまった。しかしすぐに持ち直し、コホン、と咳払いをする。 「お客様? どうかなさいましたか?」  花梨が負けじと男性の目を見て尋ねると、彼はハッと我に返ったように目を何度も瞬かせた。 「――あぁ、申し訳ない。見舞いの花束をいただきたいのですが。予算は一万円で」  男性は低く穏やかな声音でそう告げる。 「一万円、ですか……?」  滅多にない高額な注文に、ここでもまた花梨は内心たじろいだ。けれどお客様のオーダーなので快く応じる。 「――かしこまりました。ご要望をお聞かせいただきたいのですが、まず、お見舞いということであれば、花束よりもバスケットのアレンジメントの方を、当店ではおすすめしています。病室に花瓶があるとは限りませんし……」 「じゃあバスケットで」 「承知いたしました。では内容ですが、一本一本はお値段が控えめなものを選んで大きなバスケットになさるか、少しお値段お高めのお花を使ってボリュームを抑えつつもゴージャスなものになさるか、どちらがよろしいですか?」 「後者でお願いします。見舞いなのであまり大きなものにしても邪魔になるだろうから」  この時点から、花梨の頭の中ではアレンジメントの設計図がぼんやりと描かれ始め、大体の形が決まりつつある。病院に持っていくものなので、あまり邪魔にならない感じのものがいいだろう。あとはベースの色さえ決まってしまえば取りかかれる。 「お色はどのような感じになさいますか? お見舞い用でしたら、あまりに色味や香りが強いものは避けた方が無難かと思います」 「そうですか……じゃあ、ピンクをメインカラーとして、メリハリを利かせつつも全体的に可愛らしく仕上げていただきたい。あとのことに関しては、花の種類も含めてすべて任せます」 「メリハリの利いた可愛らしいピンク系アレンジメントですね、かしこまりました。お時間二十分ほどいただきますので、そちらにおかけになってお待ちください」  花梨が椅子を勧めると、男性は言われるがままに腰を下ろした。  頭の中でアレンジのパターンがめまぐるしく動き出す。いや、色味を聞いた瞬間からすでに考えは巡っていた。店にある花で、予算、用途、見た目――お客様の希望を叶えるものを作らなければならない。  彼女は棚からバスケットを取り出した。花の色を邪魔しない薄いベージュのものを使うことにする。予算が予算なので、少し大きめを選んだ。  あらかじめ水に浸けておいたフローラルフォームと呼ばれる吸水スポンジをバスケットに入る大きさにカットし、防水のためセロファンで下だけ包む。それをセロファンごとプラスチックカップ入りのバスケットに設置してさらに水を足した後、そこに花を挿していく。  今回はオールラウンドと言って、花束と違いどこから見ても花が見えるようにしつらえていかなければならない。だから最初に全体のあたりをつけていくのだ。  少しスモークがかったローズピンクのカーネーションを三本取り、その中の一本をオアシスの中心にバランスよく立てる。この花の高さがアレンジメントの高さとなるので、考えながら位置を調節する。そしてバスケットを真正面から見た時に対称になるよう、残りのカーネーションを左右に一本ずつ挿す。これがアレンジメントの幅となる。  今度は八重咲きのバラを二本手に取る。この花は中心に近い部分こそアメジストカラーだが、外側に向かって緑がかった白へとグラデーションがかっている。このため、他の花との色なじみがよい。この二本をバスケットの前後に一本ずつ配置。これが奥行きの基準だ。  ここからはひたすらバランスよく花を挿していくことになる。花梨が選んだのは、すでに配置したカーネーションと八重咲きのバラ、それにプラスしてベビーピンクのスタンダードタイプのバラ、サーモンピンクのリシアンサスだ。これらを基準の花を元に、大きさ、配色を考えながら、隙間がなくなるように挿していく。  時折、前後左右真上から見て形を確認するのも怠らない。  そうしてみっしりときれいなラウンド型に挿した後、最後にグリーンを入れていく。今回選んだのは、ユーカリの葉とリキュウソウ、そして白い実のヒペリカムだ。ユーカリとヒペリカムは双方、丸みを帯びた植物なので可愛らしさを演出できるだろう。そしてリキュウソウのつるは全体的に丸いアレンジメントに、ちょっとしたアクセントをもたらしてくれる。  そうしてできたものは華やかでもあり、可愛らしくもあり、高級感もあるアレンジメントだ。  満足のいく出来になったと、自分でも思う。
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