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第4話
(えっと……最後に何か足しておきたい。……そうだ)
花梨はアクセサリーが入ったボックスからバタフライピックを取り出し、正面から見て右斜め上に挿した。それはワイヤーのついた蝶々のチャームで、金属を型抜きして作られているものだが、淡いベージュでフロッキー加工してあるので柔らかい印象のモチーフとなっている。
「ん、これでよし」
最終チェックを終えた花梨は、仕上がったアレンジメントを丁寧にセロファンで包み、花の存在感を邪魔しない細いリボンで結んだ。
「――お待たせいたしました。このような感じでいかがですか?」
花梨ができあがったバスケットを男性の目の前に掲げる。すると彼はわずかに口元を緩めて頷いた。
「とてもいい。気に入りました」
「ありがとうございます。それと、移動はお車でしょうか? もしそうでしたら積まれた時に倒れないよう、台座をおつけしますが」
「あぁ、車なのでお願いします」
彼の返事を受け、花梨は厚紙でできた台座を取り出して組み立て、バスケットをそこにはめ込んだ。これで底が安定するので倒れにくくなるのだ。
「お支払いはキャッシュレスでも承っておりますが、いかがいたしますか?」
「それならカードで」
男性は高級そうな長財布からクレジットカードを取り出し、花梨に差し出す。
(わ……このカード)
航空会社系のプレミアムカードだ。しかもブラック。花梨はわずかに緊張しながらそれを恭しく受け取ると、タブレットで金額を打ち込み、カードをリーダーに通した。そのカードリーダーを彼に差し出して暗証番号を打ち込んでもらう。
「ただ今レシートをお出ししますので、少々お待ちください。」
花梨はカードを抜き取り男性に返した後、さらにタブレットをタップした。少しして、そばにあるプリンターからレシートが打ち出されたのでそれを手渡し、彼が財布にしまうのを待ってから、最後に花を差し出した。
「ありがとうございました。……台座で固定はしてありますが、お花はあまり傾けないでくださいね。お水が零れてしまいますので」
男性は「分かりました」と頷いてからアレンジメントをそっと受け取る。
「お花、喜んでいただけるといいのですが」
花梨が笑顔で告げると、彼もわずかに笑みを見せた。
「きっと喜んでもらえると思います。ありがとう」
そう告げると、男性は店を出る。花梨はその後ろ姿に向かってもう一度「ありがとうございました」とお辞儀をした。
「ふぅ……なんか緊張した」
一万円もの花束を作るのが初めてだったのと、目が肥えていそうな人なので自分のアレンジメントが気に入ってもらえるのか心配だったのと、あんな風にじろじろ見られてしまったのが、花梨を必要以上に緊張させていた。
実際、花梨がバスケットを作っている時も、彼の視線は彼女に注がれていた。まるで彼女の一挙手一投足を見逃すまいとするように、ずっと見つめられていたのだ。それを気配で感じながら花材を扱っていた。
彼が使っていたクレジットカード、あれは飛行機での旅が多い資産家が持つようなものだ。以前、柚羽に言い寄ってきた裕福な男がこれみよがしに見せびらかしてきたのを、花梨は覚えていた。
その時の男があまりにもいけすかない性格だったので、それ以来その手のカードを持っている人間にはある種の警戒心を抱いていた。
とは言え、先ほどの男性もお客様には変わりないので、それを表情に出すことはなかったけれど。
それから少しして里穂が店に戻ってきたので、花梨は柚羽へのお見舞いとして小さなアレンジメントを作った。もちろん自腹を切ってだ。そして里穂に後を任せ、病院へと向かった。
「柚羽、元気?」
病室でひょこっと顔を見せると、柚羽の顔よりも先に花梨の目に飛び込んできたのは――
「花梨、今日もありがとう」
「――柚羽、それ……」
花梨が指差す先にあったのは、小一時間前に自分がアレンジした花のバスケットだった。ブラックカードの彼が買っていった一万円のアレンジメント、それがキャビネットの上を可愛らしくも豪華に占領していた。
「あ、これ、花梨のアレンジでしょ? 見てすぐ分かったわよ」
「いやそうじゃなくて……、って、あ、そうなんだけど。どうしてそれがここに……?」
花梨の視線が、柚羽と花の間を何度も往復する。
「ふふふ、昨日私を助けてくれた人がお見舞いにくれたのよ」
「助けて……って、救急車呼んでくれた人? あの背の高い男の人が?」
「そう。なかなか素敵な人だったわよね?」
「でも、ちょっと怖そうな人じゃなかった……?」
柚羽がクスクスと笑うと、花梨は眉をひそめて首を傾げた。パリッとしたダークスーツの彼を思い浮かべる。長身で全体的に細身なわりには、結構な威圧感があったように感じたのだ。
けれど柚羽はそんなことを微塵も思っていないらしく、にこやかに返してきた。
「とっても優しい人だったわよ? 私が倒れた時も、親身になってくれたし。救急隊の人にも状況説明とかきっちりしてくれてたみたいだし。それに、さっきいらした時も、私の具合を心配してくれてたの。悪い人とは思えないわ」
「柚羽がそう言うならいいんだけど。でも、救急車を呼んでくれただけの人がどうしてわざわざお見舞いなんか? それに柚羽の病室とかどうやって知ったのかしら」
「……さぁ?」
柚羽は意味ありげな沈黙の後、肩をすくめた。何か引っかかったが、自分が手にしているものに気づき、ハッとなる。
「あ、そういえばこれ。私からのお見舞い」
花梨が小さなアレンジメントを差し出す。柔らかいピンクのバラをメインに、それより薄く小さなピンクのバラと、白い小花をあしらった、可愛らしいバスケットだ。
すると柚羽は相好を崩してそれを両手で受け取った。
「ありがとう。可愛い……花梨らしいバスケットね。嬉しい」
「それと比べたらちょっと恥ずかしいけど」
おどけたようにキャビネットの上を指差した花梨に、柚羽が「こら」と、彼女の額を突いた。
「私は花梨のアレンジメント大好きよ。そのゴージャスなのもとってもきれいだけど、これも好き。だって、私のイメージで作ってくれたんでしょ? すごく可愛い」
目の前に掲げた小さなバスケットを、柚羽は矯めつ眇めつ眺めた。花梨は照れくさそうに目を細める。
「ありがと。――ところで、もう検査したの? 結果はまだ?」
「うん、大体終わった。明日の午前中には結果が出るから、それで問題なければ退院できるって」
「そっか、よかった」
花梨は安堵の息をついた。大したことはないと本人や眞木から聞いてはいたが、それでも内心気が気ではなかったのだ。
「眞木先生ってほんとにいいお医者さんよね。そう思わない? それにこの病院の看護師さんもすごく優しいのよ。私の担当の砂岡さんなんか、つい最近この病院に来たばかりなんだけど、すごく優秀なんですって。しかも本当に優しいの」
「へぇ~。そんな人に担当してもらえてよかったね、柚羽」
両手の平を合わせて嬉しそうに話す柚羽に、花梨は薄く笑った。
「そうそう検査の時にね、花梨のことを眞木先生と話していたの。『花梨はいつも私の面倒を見てくれるんです』って言ったらね、先生、『花梨さんは本当にお姉さん思いなんですね』って、感心してらしたわよ」
「眞木先生が……?」
柚羽の言葉に、花梨はわずかに目を見張る。
「だから私『花梨は美人で面倒見のいい、私の自慢の妹なんです!』って言っておいたの」
「美人で、って……柚羽だって同じ顔じゃないの」
「ふふ、それ眞木先生にも同じこと言われたわ。『自分のことを美人だと自覚してらっしゃるんですね、柚羽さん』って。だから『美人姉妹で目の保養になるでしょう?』って言っておいたわ。もちろん冗談でよ?」
柚羽がぺろりと舌を出した。花梨はやれやれといった様子で姉の額をぴん、と弾いた。
「ったく、人のいないところで言いたい放題なんだから!」
「やだ、褒めてるんだからいいじゃない」
「そうだけど……っ」
あまりにも嬉しそうに眞木の話をする柚羽を見て、心の奥から違和感めいたものが湧き上がってくるのに、花梨は気づかない振りをした。
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