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弟の閉じ込めていた気持ち
私の弟は大人しくて優しくて周囲に気配りができる子だ。
「暑っ!」
今年もお盆の夏祭りが近づくと、本家の我が家に親戚が集まって来る。
今日の宴会の肴は弟の就職祝いと、少し早い未来の嫁の話。
『今どきこんな本家の長男の嫁にくる人なんていないわよ。私だって嫌だもの。親とは同居だし季節ごとに親戚は押し寄せるし。はー、叔父さん達お酒くさいなあ。滅入ってきた』
「お母さーん。ちょっと外出てくるねー」私はミュールをパカパカさせながら夜道を歩きだした。
『はあ。空気がいいのと夜空がきれいなのが実家の少ないイイ所よね』
「姉ちゃん」
振り返ると弟が後ろから追いかけてきた。
「何。あんたも逃げてきたの?」
「いや、俺は酒が足りなくなるから買ってこいって」
「は?まだ飲む気、叔父さん達。どうせあんたの未来の嫁の話しているんでしょ?」
「俺お嫁さんは無理だから。苦しくて居場所が無いよ」
弟がため息をつきながら肩を落とす。
「なあに、好きな人でもいるの?こんな田舎は嫌がられそうよね」
「うん・・・。それだけじゃないんだけど」
「やだ、付き合っている人がいるの?どうして今日のタイミングで連れてこなかったのよ」
「連れてこられる人じゃないから」
「え?」
「俺、中学の時に少し違和感があって高校の時にはっきり自覚した。俺は女の人とは付き合えない。そういう気持ちで日々を過ごしていた。そんな時にその人に出会ったんだ」
「誰?」
「その人と高校は一緒だったけど、大学は分かれた。でも俺大学の時家を出たよね。実は二人で暮らしていた。就職先は違うけど生活は変えないしこのまま時を重ねていきたい」
「ずっと誰にも打ち明けられないまま息が詰まってダムの底に沈んでいくような感覚で毎日過ごしていた。そこから優しく引き上げてくれた人なんだ。ずっと二人で生きていきたい。
ううん。いないと俺が生きていけない」
「彼と」
「彼・・・?」
『え、いま大切な人のこと彼って言ったわよね?』
そして弟はいきなり、でも優しく私を抱きしめてきた。
『弟のクセにずいぶん背が伸びたなあ』
「ごめん、姉ちゃんごめん。すごく姉ちゃんに迷惑がかかることはわかっている」
私を抱きしめている弟の腕がかすかにふるえているのが伝わってくる。
『そうか弟の恋愛はいばらの道なのか』
「何、大丈夫よ。私がサッカーできるように九人ぼろぼろ子ども生んでやるわ」
「姉ちゃんサッカーだと二人足りないよ?」
「そうなの?」
背中に弟の体温を感じながら言葉を続ける。
「ねえ約束して。五年かかってもいい。十年かかってもいい。必ず二人で会いに来て」
「私はあんたの笑顔が見たいのよ。好きな人と一緒にいる幸せな弟の顔をね」
「うん。ありがとう」
「だったらこのまま今すぐ行きなさい」
「ふり返らないで。このまま走って。あたしもふり返らずにお酒買って家に帰るわ」
「いい?必ず帰って来なさいよ。大切な人と一緒に。離れるのはほんの少しの時間。私たちは姉弟だからお姉ちゃんの言う事聞きなさい」
「うん。弟は大好きなお姉ちゃんの言う事聞きます」
弟が、くすりと笑った。
そして私たちはお互い振り返らず、少し涙をにじませながら反対方向に走っていった。
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