遠くに行きたい、 でも、行けない

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 健太は、Aという小さな地方都市に生まれ育った。小学校の頃は勉強そっちのけで、友達と一緒に毎日、自転車を乗り回して遊んだ。友達の家に行き、公園に行き、川に行き、山へも行った。  健太はこの町が好きだった。遠くに見える山も、町の真ん中を流れる大きな川も、いつも行くショッピングモールも、すべて自分の庭の中にあるように、思っていた。  将来はこの町で仕事につき、両親のそばで、仲間たちと一緒に暮らしていきたいと思っていた。それは、高校に入学してからずっと付き合ってきた同級生の美咲も同じ思いだった。  高三の冬、大学入試を間近に控えた頃、その美咲の様子がおかしくなった。LINEの返信も少なくなり、なかなか会おうとしない。健太を避けているのは明白だった。彼女の周囲に聞いてみると、むしろ健太のほうが、悪者扱いされた。  「自分勝手だ」  「清潔じゃない」  「美咲を傷つけつけることを言った」  等々。  まったく見覚えがない話ではないが、いつものように行動してきた健太にとっては心外だった。しかも、美咲の口からは、はっきりした話は出てこない。健太は性格がおっとりしていたこともあって、厳しく彼女を問い詰めることもできなかった。美咲に対する愛情が消えていなかったからでもあった。  健太の噂はさらに学校全体に広がったようで、彼はだれもが、自分のことを陰で笑っているように思えた。親しい男子の友人の間でも噂は信じられ、そのことが彼に衝撃を与えた。  ”やっぱり、僕と美咲は破局したんだ” 彼は認めざるをえなかった。しかも終わり方も最悪であったし、時期的にも最悪だった。  ただでさえも、受験のストレスがかかっているこの時に、美咲との一方的な別れ、学校での彼の最低の評判。このトリプルパンチに、いつもはおとなしい健太もキレてしまった。そして彼は思った。  「遠くに行きたい。」  好きだった町もどうでもよくなった。誰も知らないところに行きたかった。  そこで、健太はあまり馴染みのない県外の大学を受験することにした。この町を出るためである。さすがに、東京まで行く勇気はなかった。  そして無事にその大学に合格したのだが、その喜びもつかの間、この大学の教養課程の二年間は、A市の隣のB市にあるキャンパスに通うことを初めて知った。慌てて受験大学を決めたせいで、そんなこともチェックしていなかったのだった。  もし、この大学に入学したら、自宅にそのまま住んで、B市まで通学することになる。そうすると、美咲はもちろん、自分を小馬鹿にした同級生たちと会うかもしれない。  普通の人ならば、”運が悪かった”とだけで諦めるのだろう。  しかし、健太はそれが耐えられなかった。  「遠くに行きたい。でも行けない」  「よし、思いっきり遠くに行こう」  健太は、両親の反対を押し切って、この大学の入学を蹴り、東京に就職することにした。就活にシーズンは、もうとっくに終わっていたのだが、運よく東京近郊のC市にある上場会社に内定をもらい、入社することとなった。  新人研修のあと、全国展開するこの会社は新入社員に配慮して、彼らを地元の営業所に配置した。そのため、健太はA市の営業所で働くことになってしまったのである。   せっかく誰も知らない遠くに行こうと思っていたのに、彼は再びA市に舞い戻ってきた。  普通の人ならば、やはりこれも”運が悪かった”とだけで諦めるのだろう。  しかし、健太にはそれが耐えられなかった。  健太は、両親の反対を押し切って、この会社に辞表を出した。履歴書に傷がつこうがどうでもよかった。  「遠くに行きたい。でも行けない」  「国内がだめなら、海外だ」  すでに健太の理性はふっとんでいた。確実にこの町から出て行ければ、その方法は何でもよかった。  健太は自分の部屋に戻ると、高校の時使っていた地図帳を取り出し、世界地図を開いた。そして、ボールペンを握って頭の上にあげ、目をつぶり、「エイ」と手を振り下ろした。ボールペンの先はある場所に食い込んでいた。  「ここに行こう」  そこは中東のD国だった。  世間知らずの健太は、日本人なら世界中どこにでも行けると思い、D国に行く準備を進めた。ところが、旅行会社に問い合わせたところ、この国は外務省から退避勧告が出されており、渡航不可能ということだった。 「遠くに行けない。でも行けない」  健太は、これだけこの町から出ていこうとしているのに、いつもこの町に連れ戻されてしまう。何か大きな力が、彼を阻んでいるように思えた。 「このまま生きていては、遠くに行けないのか・・・」  健太は恐ろしいことを考えてしまった。  ちょうどその時、誰かからLINEが来た。  「元気?」と美咲からだった。  美咲に対する腹立たしい気持ちもあったが、彼女のアイコンを見ると、いとおしさが込み上げてきた。  ”おれは、つくづくバカな男だ” 健太自身が自分にあきれるほどだった。  結局、彼女と会うことにした。     会っていきなり、彼女は健太に思いっ切り、頭を下げてきた。  彼女は、当時の経過を泣きながら説明した。  当時、彼女の父は小さな会社を経営していたのだが、多額の負債を抱えて倒産した。すると毎日、家に債権者が詰めかけ、家族がパニック状態になっていたらしい。健太は全く知らなかった。   彼女も前後不覚状態に陥ったのだが、借金まみれの家族を持つ美咲と付き合うと健太が不幸になると思い、彼女は健太を自分から”遠くに行かせよう”と思ったそうだ。それで、友人たちに健太の悪口を言い始めたらしい。  その後、健太の様子は人づてに聞いていたのだが、申し訳なくて、本当のことを言い出せなっかったそうだ。そうしたところ最近、父が自己破産して借金の整理がついたともあり、意を決して連絡してきたとのことだった。  「許してくれとは言わないが、事情だけは説明しておきたかった」  嗚咽しながら話す美咲に対して、健太はこの期間、彼女が自分以上に苦しんできたのではないかと思った。 そして健太は美咲に言った。  「いいよ。もう一度やり直そう」  「もう、遠くに行きたくない」                  
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