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歌い終わると、千弦はしばらくギターを見つめたまま。
氷の眼差しでじーっと、沈黙。
歌、変だった?
そこはまぁ、ど素人だから仕方ないじゃん?
なんか、感想的なの………とか…は?
険しい表情で集中してるその感じはなぁに?
『ちょっと、私弾いてみていいですか?』
険しい表情を崩すこともなく聞いてきたから、何も言えず無言でギターを渡した。
最初3、4ストロークぐらい、控えめに音を鳴らしたあと、ゆっくりしたテンポで俺が歌った曲を歌い始める。
~♪
~♪
甘いけど透き通った声。
「すごいね。ギターも弾けるんだ。」
『いいえ。ギターは今はじめて触りました。だからこの4小節が限度ですね。』
適当にいろんな押さえ方を試しながら、不協和音の次に協和音を押さえ直すことを繰り返し、次々にコードを捉えていく。
『私、ずっと不思議だったんです。【ミカエル】の音楽はなんで直接心に響くかんじがするのかなぁって。弓じゃなくて指で直接弾くからなのかな。余計なものを介してないからっていうか…ね?』
千弦は俺を見てニコッと笑った。
弦楽器という大枠が同じで楽器の構造が似てるからというだけで、ここまでするすると簡単にできるものなのだろうか。
『私、ずっとライバルを蹴落としていい賞とってやる、その座を奪ってやるって、審査する大人たちの耳とハートを撃ち落としてこっちに引きずり込むことだけ考えて、まるでゲームしてるみたいに音楽をやって来たんです。でも【ミカエル】の音楽聞いてたら、音はぶつけるものじゃなくて届けるものだって、思えたんですよね。そういう音ってギターだから出るのかな...。』
初見で演奏しているところを見ただけで、演奏したこともない楽器を4小節とはいえすぐ完コピできるほどの技術を身に付けないと、生きてこれなかった異国の本場の音楽の世界で、15才から一人で戦い続けているんだな。
演奏しているときの氷みたいな顔、奏でられる旋律の透明度の高さは、危うさの裏返しなのかもしれない。
束の間二人の間を横切る沈黙が少し重たくて、俺は【ミカエル】のドームツアーの舞台デザインのラフ画を描いたスケッチブックを取り出した。
「これ、どう思う?【ミカエル】の世界観と合ってるかな?【ミカエル】を大好きで、音楽のことわかってる人の意見を聞きたいよ。」
『わぁ…』
いつもより一回り目を大きく開いて。
でも歌を聞かせたときと同じで感想めいた言葉は発しない。
『…………壊れてますね』
「へ?」
『だって造りは西洋じゃないですか。パルテノン神殿とか、コロッセオみたい。でも、模様は東洋ですよね。曼荼羅にも見えるし、ガネーシャみたいな像もいるし、ダンサーはインドネシアっぽい。国境が、壊れてますね。私、好きです。【ミカエル】はロックだけど三味線が使われてたり、歌詞が万葉ことばだったり、民謡っぽい旋律に全英語の歌詞を乗せてたり、洋だけど和なんですよ。そもそも、洋風とか和風とかって壁は正体不明ですけどね。』
込めた想いがまっすぐ届いた気がして、嬉しかったくせに恥ずかしくもなって、泣きそうな顔になった自分に気づいてほしくなくて、ちょっと雑にスケッチブックを閉じた。
「俺も同じかもしれないな。ライバルを蹴落としていい賞とってやる、その座を奪ってやるって、審査するヤツらの視覚と美意識をこっちに引きずり込むことだけ考えて、まるでゲームしてるみたいにいろんな建物作ろうとしてる。まぁ……形になったのはあんまりないんだけど。」
ちょっと陰りのある笑顔が、俺だけに向いた。
「千弦ちゃん、ギター、もうちょっと弾いてみる?」
『千弦ちゃんとか、、、呼ばれないって言ったじゃないですか、恥ずかしいですよ。』
ほっぺと、耳も、ちょっと赤らめてうつむいてしまった。
「誰からも呼ばれてないって言ってたからあえて呼んだの。俺は千弦ちゃんって全然発音しづらくないからね。どう?もうちょっと弾いてみる?」
『...穂高さんとか片平さんみたいに弾けたら楽しそうですね!構え方もあるのかな?バイオリンってバズーカみたいに攻撃的に持つけど、ギターはだっこしてぎゅっ…だから優しいのかも。』
千弦がまた俺に笑いかけた時に、俺は後戻りできないほど堕ちたことを自覚した。
「俺コード押さえるからさ、右手やってみて。さっきみたく頑張ってピチカートみたいにしないでストロークでいいから。」
彼女の真後ろから、彼女越しに左手だけギターを構える。
「せーの」
~♪
~♪
甘くて透き通った声が涙声に変わる。
俺は彼女の肩に頭を預けて後ろからそっと抱き締めた。
泣き出してしまいそうな顔を見られないように。
「千弦ちゃん。また、会えるよね?」
『...わかんないですけど、たぶ...ん…ん…っ』
目を見なくて済むように、笑うことができないように、ちょっと強引に後ろを向かせて、唇を重ねた。
何度も、何度も、忘れないように。
俺が彼女を、彼女が俺を、次に会う日まで、忘れないように。
柔らかい唇を、温かくも怯える舌先を、ほのかにミルクの香りがする吸い付くような頬の手触りも、五線譜よりも柔らかく、南の国にしか咲かない花の香りがする髪も。
何度も何度も、忘れないように。
敢えて傷を残すかのように。
「千弦ちゃんごめん。そういうつもりで部屋に呼んだわけ……………じゃ………」
柔らかい唇と、温かくも怯える舌先がもう一度来襲する。
『私も………こういうつもりで部屋に来たわけじゃ………ないです…。』
明日になったら。
こうして手が届くところにも、声が耳に落ちる距離にも俺たちは一緒にいられないのに。
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