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だいすき
朝、寒くて目が覚めるとベッドの外に左足だけが飛び出していた。
寒い寒い。爪先とれちゃう。
羽毛布団にくるまって二度寝に落ちる前に、いつもの通りサイドテーブルのスマホを取ってLINEの着信を確認する。
《今日も寒い~っ。リハのあとでメンバー発表のはずだったんだけど延期になったの。わかったらまたLINEするね。こっちのクリスマスはやっぱり派手でわくわくするよ。今日も大好き。》
添付された夜景の写真。
これはどこだったっけなぁ、よく送られてくる広場の写真。
何回説明されても行ったことないからピンと来なくて忘れる。
だから前にも教えたでしょって、雪見だいふくみたいなふくれっつらを思い浮かべる。
ピカデリーサーカス?
コヴェントガーデン?
トラファルガースクエアだっけ?
タイムズスクエア?
タイムズスクエアはニューヨークか。
寒くてまだベッドから出る気になれず、微睡みのなかで眺める風景の写真は、ポストカードみたいにきれいで完全に露骨に異国だ。
LINEの相手は俺の彼女。
2年前の秋に出会って春になる前につきあいはじめたから、もうすぐ3年目になろうとしてる。
でもいちばん長く過ごしているのは、スマホの小さな画面の中の、数え切れない文字たちと写真とビデオ通話。
実際の彼女にあったのは4回だけ。
そのうちの2回目に会ったのはカウントにいれていいかどうかも微妙。
はじめましての音楽番組リハーサル。
すれ違ってしまった収録本番。
一緒にライヴを観に行った日。
初めてキスをしたのはこの時だ。
無理矢理押し掛けた彼女のリリースイベント。
このとき彼女の宿泊先のホテルで初めて夜を過ごした。
ほんとにこれだけ。
最後に会ったのは去年の夏の終わり。
彼女のライブイベントのときのこと。
もう11月だから、余裕で丸一年会ってないことになる。
次いつ会えるのかは……わからない。
彼女次第。彼女の夢次第。
俺が丸ごと1週間とか休めて会いに行けたらいいけど、今の俺には到底無理な話だ。
こんなの恋人じゃないって思うやつもいるだろうけど。
俺は彼女の事しか考えられないし、彼女に至っては俺しか男の事を知らない。
6才の年の差、東京とロンドンという距離の差、9時間の時差。
俺と彼女の間には見えない壁がそびえ立つ。
時差と合わせて、お互い仕事柄多忙を極めて会話ができることはあまりなくて、もっぱら文字だけの往来。
彼女はいつも《今日も大好き》でメッセージを終える。
だから俺は〈俺も大好き〉からメッセージを始める。
毎日の些細なこと、嬉しかったことも、辛いこともぶつかってる壁も話してくれるし、俺もビッグニュースから果てしなくくだらないことまで、なんでも文字にぶつけるから、お互いの状況を理解して、支え合える関係であることは間違いない。
それでもやっぱり、触れられる距離にいないことで不安の闇魔導師にやられてしまいそうになることがある。
ほんとは彼女は空想の世界にしかいなくて、好きすぎて自分が作り出した虚構なんじゃないかって。
彼女もそう思うことがあるって、でもそれはハリーポッターにはまりすぎなんだよってビデオ通話で笑っていた。
声が聞きたい、動いているところをみたい、そう思ったときは、彼女は俺の手がけたセットが使われてるライブや舞台のDVDを観ると言っていた。
特にメイキングやドキュメンタリーは時々俺が映り込んでるから、何回も観て台詞も覚えてしまうほどだと、ビデオ通話で話してくれた。
声が聞きたい、動いているところをみたい、そう思ったときは、俺は登録している彼女のYouTubeのチャンネルを観る。
忙しいくせにやりたがりの彼女は、週に1度は動画をあげてきて、毎度そのクオリティの高さと選曲にさすがだなと舌を巻くけれど、何せ日本人向けに発信していないから、前と後にしゃべる言葉はすべて英語で何が言いたいのかわからない。
こんなの恋人じゃないって思うやつもいるだろうけど。
言いたいやつには言わせておけばいい。
一緒にいる時間じゃない、触れあった回数じゃない、どれだけ相手の幸せを願い、相手の夢が叶うことを望むかが、大事なはずだ。
本音を言えば彼女と一緒にいたい。
手を伸ばせば触れられる距離に、あのさぁと話しかければ声が届く距離にいたい。
でもそれは同時に、彼女の夢が叶わないものになったことを意味するから。
だから俺と、彼女は、出会って3年目を迎えようとしている今も、6歳の年齢の差を感じなくなったことぐらいで、あいかわらず、距離と時間の壁を抱えたまま、毎日大好きだと伝えあっている。
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