だいすき

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彼女が日本に来て、自由になる時間は12月24日の午後と25日の夕方まで。 いまやってるのはミュージカルの舞台美術デザインと、音楽番組のセットのデザイン、コミュニティホールの建設と、図書館とかカフェの新店舗とかのコンペがいくつか。 あとやっと形が見えてきた新しい学校の建設も。 延ばせるもの、詰め込めるもの、整理すれば一日ぐらいこじ開けられるはずだ。 ハードスケジュールは覚悟して、仕事仲間にもしわ寄せが行くけど、みんな俺と彼女の事情を知ってるから、ニヤニヤしながら全面協力を約束してくれた。 年末が近づくと、出演者も多くてお祭り騒ぎな音楽番組が増えてくる。 年の瀬を間近にして、過去になろうとしている一年を名残惜しみながら、おもちゃ箱を蹴飛ばしたようにいろんなジャンルの人が、いろんな曲を演奏するこのぐちゃぐちゃな感じが俺は大好きだ。 たった数時間のために何日もかけて何パターンも大きなセットをデザインして、役目を終えると余韻に浸ることもなく壊されてしまう、その刹那的なところも嫌いじゃない。 ちづると初めて会ったのも、年末の音楽番組だった。 月末に生放送が予定されている大きな音楽番組の、舞台打ち合わせに、兄貴でありその音楽番組の制作会社に勤めている慶人(けいと)と向かう。 「久しぶりじゃんね、ちづるちゃんに会えるの。」 「やっぱり拠点は向こうだからね。去年日本でミニアルバム1枚リリースしたけど、それっきりだし。」 「んん。やっぱり東京とロンドンだとなかなかうまくいかないだろうし、あちらの所属団体もなかなかがっちりしてそうだし、二足のわらじはキツいだろな。YouTubeやってるから知名度はこっちでもそこそこあるらしいぞ。」 はいどーぞ、と慶人はコーヒーを淹れてくれた。 「んで?久々の生ちづるちゃんとどっか行くの?」 熱すぎてちっとも喉を通過しないコーヒーは、こうしてちびちびとすするしかできない。 「慶人さぁ、、業界人炸裂させて何とかしてほしいことあるんだけど。」 「なんだよ?ムチャブリすんなよ?」 昨日、ビデオ通話が終わったあとずっと考えていた。 彼女がやってみたかったことってなんだろう。 あんまり会えない彼女のために、ほとんど一緒にいられない二人の思い出作りのために、やってみたいことひ叶えてあげたいけど、何したいんだろう。 夕方からじゃもったいないって言ってた。 ごはん食べる、夜景を見る、映画を見る、イルミネーションを見に行く、そーゆーことをする...。 それだったら夕方からでも全然もったいなくないし。 気づかれて声かけられるから嫌だとも言ってた。 だから俺のうちでまったりしたいなんてのも、ほんとは違う。 一緒に過ごした時間のほとんどはスマホの画面の中だから、彼女がやりたいと思うことがなんなのか、手がかりが異常に少ない。 それでも。 たぶん、そうかなって思ったのがひとつあって。 もし、違っても、喜ばない女の子はいないだろうってことがひとつあって。 でもそれを約1か月前のいまから手配しようかとするとそれはあり得ないわけで。 姑息ながらこんな世界でこんな仕事をしてそんな人たちの人脈で飯食ってる兄貴がいることを1000%利用してやろうかと思ったわけで。 「できれば海側でさ、予約とれないかな、今から。」 顔を寄せて慶人にささやくと、天井をあおいで深々とため息をついた。 「まじかー?それ相当ハードル高いぞ。」 「やっぱりきついかな…」 「雅人ぉ、俺が業界人だから的なルートだとそれ無理。」 「そっかぁ。。。やっぱりだめかぁ」 慶人は不敵な笑みを浮かべている。 「とはいえ、俺が兄貴でその頼み、お前めっちゃ引きがいいな。」 「...?」 「ゼミの後輩にそこの社員いるぜ。」 「まじ!」 「しかもその後輩が先輩の彼女に手出ししたのうまくとりなしてくっつけたの俺だし。俺の頼みならなんとかせざるをえないぐらいの関係性。確か今、そいつそのムチャブリなんとかできそうなポストにいたはず。」 「...。頼めそう?」 「聞いてやるよ。ホテルってだいたい満室にはしないんだって。設備不良で部屋変えてあげるときもあるし、こういう裏技かましてくるわがまま顧客が舞い込んでくることもあるし、満室といっても本当に満室にはしないって聞いた。特にあそこはね。そういうホスピタリティ徹底してるから。」 「慶人が女神に見えてきた。」 「………………焼き肉食わせろよ」 「ありがとう!焼き肉しこたま食えよっ!」 「食べ放題の店とかやめろよ。ちゃんとしたとこな」 「鬼畜。。。」 慶人はガハハハと、豪快に高らかに笑うと、後輩にさっそく連絡をとってくれた。 彼女と出会ったのは2年前、少し慌ただしくなる秋の終わりの音楽番組のリハーサルの時だ。 今日みたいにざわざわとせわしなく、がやがやと心地よく、たくさんの音楽を浴びながら、突然その時は訪れたんだ。
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