一聴惚れ

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一聴惚れ

彼女と出会ったのは、2年前の秋の音楽番組のリハーサルの時。 俺は目まぐるしく変わる大型の舞台セットのデザインと設計を担当するスタッフの一員として関わっていた。 この時期に定例の、お祭り的に放送する大型の音楽番組。 その番組ではかなりの出演者が、通常と趣向を変えたコラボ企画で演奏をすることになっている。 セットの組み換えは動線にかなり気を使うから、リハーサルの段階から演者の動きも知っておかなければならない。 最近ぐんぐん人気が出てきているロックバンド、【ミカエル】が、オーケストラをバックに演奏すると聞いていた。 職場で流しっぱなしにしているラジオから流れてきた彼らの楽曲をたまたま耳にしてから、俺はずっと【ミカエル】を応援していて、夏のライブツアーは東京公演のチケットが取れなかったから、わざわざ福岡まで遠征したほどだ。 だから【ミカエル】のリハの様子だけはスタッフとしてではなく完全にファンとして見ていた。 そのオーケストラの第一バイオリンの一人がちづる。 凛としたたたずまい 常に氷のような冷たい表情 時折見せる音との戯れを楽しむ笑顔 間奏のソロパートの音の透明度 魔法のような速弾きのテクニック。 一目惚れ。 とは違う。 一耳惚れ? 一聴惚れ? 「あの子すごいだろ。あの子の出演を実現させたのはでかかったぜ。」 慶人が自慢げに言う。 「あの子有名なの?」 「ゴトウチヅル。現役の大学生の21才。英語が堪能。それ以外のことは謎なんだけど、バイオリンでやってみた系のYouTubeのチャンネル持っててちょっとした有名人。【ミカエル】のメンバーがYouTube観てこの子にやってもらえないかって相談してきたから、DMしたんだよ俺。そしたらあの子も【ミカエル】のファンだったらしくて即決。でもあの子とのコラボだけじゃ弱いかと思って、今年のコンクールで金賞取った高校の管弦楽部とコラボさせたんだ」 そういってタブレット画面のブラウザにYouTubeのチャンネルを開いてくれた。 「CHIZURU(PIZZA)GOTO 五嶋千弦(ごとうちづる)」 そう書いてあった。 なんでピザ? アイコンは桜並木の川沿いでバイオリンを構えて長い髪が風になびいている写真。 名前を聞いただけでは想像できなかった漢字の組み合わせに、名は体を表すという言葉を思いながら、舞台上の彼女の演奏している姿を目に焼き付けようと瞬きもせずに見つめていた。 全体リハが終わり、総合演出の責任者から微調整の指示や当日の最終確認を受けていると、ほどなくしてドアがノックされ、慶人が顔だけ覗かせて指で俺を呼んだ。 「…なに?」 「ちょい出れる?」 「打ち合わせ中だよ…」 「すいません、【ミカエル】から舞台セットにクレームついて呼ばれてるんで、片平借りますね!」 慶人は責任者にそう告げると俺を連れ出した。 遠く後ろから声が聞こえる。 おー、こっちはボチボチ終わりだからみっちり怒られてこーい… あの責任者もいい加減なもんだ。 一緒に怒られてやろうって気はないのかよ。 「なんだよクレームって。俺らは演出の指示で作ってんだよ。アーティストから直接とやかく言われる筋合いねーぞ。」 「いいからいいから。」 楽屋がたくさん並ぶバックヤードをくねくね進んで、迷いもなくひとつのドアを開ける。 「どもっす。これ、俺の弟の雅人でーす。」 【ミカエル】のメンバーと、あのコがいた。 「グッジョブ!!だろ、俺。」 慶人は極上に嫌らしい顔でニヤついている。 「クレームは?」 「うそ。」 「は?なにしてんの慶人。職権濫用しすぎじゃない?」 【ミカエル】のメンバーも、その後ろから申し訳なさそうに顔を覗かせる千弦も、さっきまで届かない“向こう側”の住人だったから、俺の脳内情報処理が間に合ってない。 まともに挨拶もできない俺に【ミカエル】のリーダーである穂高廉(ほだかれん)さんが握手を求めてきた。 「はじめまして。慶人さんから弟さんが俺らのファンだって聞いてさ。あのセットのデザインもすごいシビレたし、会わせてほしいってこっちからお願いしたわけよ。照明当たるとシルエットで奥行きが倍増してチャペルみたいに見えるアレ、ほんとすごい。ありがとう。」 「あ…ありがとうございます。あの…リハ見てました。凄かったです。バイオリンと合わさるとすごい幻想的になるっていうか…え…っと…すみません、言葉が思いつかないっす…。」 「あはは…緊張しすぎだよ雅人くん。俺たち同年代なんだし、あんまり構えないで。」 「す…ません」 穂高さんが目線だけで、座って…と楽屋の中に入るように促してくる。 「どうしても今日君たちふたりに話がしたくてさ…コーヒーでいい?インスタントなんだけど。」 穂高さんは頷く俺と彼女を確認するとにこりと微笑んで、紙コップをふたつ、ポンポンと手に取った。 俺と彼女は隣同士に座って、あの【ミカエル】の穂高さんが自分たちのためにコーヒーをいれてくれているといく極めて不可思議な光景を見つめていた。 『あの・・はじめまして、五嶋千弦です。』 そういって隣で頭を下げる彼女。 声は思っていたより甘ったるくて、舞台ではあんなに大きく見えたのに実際はちょっと小柄な部類だ。 ステージで見つけて、ほんのちょっと前まで自分でもどうかと思うぐらい動画を見漁っていた彼女が目の前に。 「片平雅人です。舞台セットのデザインと設計やってます。さっきの【ミカエル】とのコラボ、カッコ良かったです。五嶋さんの動画も見ました。クラシックだけじゃなくて、アニメとかゲームとかボカロとかも選曲に取り上げてて、見てて飽きないし、アレンジが好きです。この動画見てバイオリンやってみたいなぁって思う人もいるんじゃないかな。」 彼女は真っ赤な顔になって小さな声で 『す・・ごい嬉しいです。有難うございます』 とだけ言った。 真顔は氷みたいに冷たい表情なのに、笑うと子供みたいにくしゅくしゅだ。 かわいいなぁ、触りたい。 だめだめ。 我慢して、俺。 「本題から言うね…」 穂高さんから紙コップを渡される。 ただならぬ空気感に俺は、怒られてる小学生みたいに固まってしまった。 「まだ、未公表だけど俺たち【ミカエル】は来年ドームツアーをやる。雅人くんには舞台美術をやってもらいたい。五嶋さんにはストリングスのサポートをやってもらいたい。どう………かな?」
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