君の隣で

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君の隣で

初めて千弦に会った音楽番組のリハーサルから3か月後の2月末。 テレビの中でしか見たことのない“ゲーノージン”がちらほら確認できるあからさまな関係者席で、ふたりで並んで【ミカエル】が出ているフェスを観ていた。 千弦はいわゆる最近出てきたアーティストのことはあまり知らないから、俺はステージに立つ人のことも関係者席にいる人のことも、見かける度に解説をしながら、舞台美術に潜ませた仕掛けの解説もして、【ミカエル】の出番以外はずっとしゃべり倒した。 周りの音が大きいから、千弦は耳を寄せて俺の話を聞いてはニコニコうなずいたり、目をまんまるにして驚いた素振りをしたり。 時々盛り上がりすぎて話し声が大きくなるのをシーって静めたり。 『はー…【ミカエル】の新曲サイコーでしたね!レコーディングしてきた曲も、もうほんと、サイコーでした。メロディも歌詞もサイコー。…あ、私“サイコー”しか言ってないですけど…』 目をくしゅっとちいさな女の子が無邪気に笑うみたいな顔を見せる。 「こんどはどんな曲なの?」 『……ヒミツです』 「だよねぇ…。でもいいなぁ。レコーディングに参加するってことは誰より早く【ミカエル】の曲聴けるってことだもんね」 『そんなこと言ってぇ…片平さんもレコーディング見学に来たって聞きましたよ?』 「一回だけ一曲だけね。舞台デザインのイメージを伝えるためにって。でもメインは打ち合わせ…というかオーダー受けてただけ。後にも先にもそれっきりだもん。」 『あと穂高さんからギターもらったんでしょ?』 「……ヒミツです。」 『あ、ズルい!』 ベーっと舌を出すと、千弦もベーっと舌を出してきた。 「今日持ってきてるよ?見に来る…?」 『…………………ぇ』 「…………………………ぇ?……………あっ!別にそういう意味じゃなくて…っ!」 怪訝そうな千弦の顔を見て、自分がとんでもなく下心むき出しのキモい発言をしたことに気がついた。 誤解解かなきゃ…やべーやべー。 「あの…っ、千弦ちゃんの部屋番号教えてもらえたら部屋の目の前置いとくから、見終わったら俺の部屋に返してくれ………ぅ…っ!あ、あの…これは部屋番号聞こうとしてるとかそーゆー…っ」 『片平さん…っ』 「ごめんなさい」 『そんなことしたらギター盗まれますよ?』 「……そうならないように俺が遠巻きに見守っ………あぁ!そんなのキモチワルすぎるじゃん…」 コロコロ小さな鈴が鳴るみたいに、千弦が笑った。 『雅人さん。慌てすぎです。』 「ごめん」 『謝りすぎですし…』 「ごめ……ぁ。」 『んふふふっ!お菓子とジュース、買って行きましょうか。』 「ぇ………い、いいの?」 『そういう聞き方して変な気の回しかたするから変な感じになっちゃうんですよぅ…』 夜道を並んで歩きながら、ちょっとずつ、気持ちがほどけ合うのを感じているのは、きっと俺だけじゃないと思う。 人混みに揉まれながら宿泊先のホテルに向かう間も、純粋にギターを見せたくて呼んだ俺の部屋でも、千弦といろんな話をした。 なんでYouTubeのチャンネル名がピザなのかも判明。 欧米人は「ちづる」が言えなくて「ちいいずううるうう!」って、伸ばして言ったら、ニックネームがチーズになって、YouTubeでいろんなジャンルの音楽をバイオリン一本で弾く動画をあげてるのもトッピング変えられるチーズピザになり、ピザ残りになったそうで。 “ごとう”も“GOTO”表記だと“ゴートゥー”にしかならないらしい。 『私の名前、発音しづらいわ覚えられないわで最悪なんですよ。ただでさえアジア人って間口狭くて不利なのに。だからチーズピザはつかみとしてはいいんです。もう誰からも千弦って言われないから、名前も忘れちゃいそうですよ。』 ずっとちいさなタブレット画面の中で、演奏している姿を見てきただけの彼女が、ほっぺを雪見だいふくみたいに膨らませて、目の前で笑って話している。 演奏しているときの彼女は氷みたいに鋭く真剣な表情をしているけれど、バイオリンを構えていない彼女はニコニコ笑い、よくしゃべる。 思わず見とれてしまって沈黙が続くと、彼女は 『ギター、触ってみてもいいですか?』 と聞いてきた。 「うん、いいよ。なんか弾こうか?夜だからタオルつっこんで小さい音にしてからになるけど。」 『ほんとに?ほんとにいいの?』 ギター弾くって言っただけなのに、目を真ん丸にして、まるで隠された宝物を探し当てたみたいな表情をする。 「うん、いいよ。何がいい?…って言っても俺弾けるのって【ミカエル】の初期のあんまりむずかしくないやつだけね。」 彼女と向かい合わせになって軽くチューニングを調えていると、邪魔にならないようなちいさな声で 『隣で見ててもいいですか』 とすぐ隣に座った。 「隣の方がいいの?」 『はい。こっちの方が弾いてる目線で弦がよく見えるから』 ~♪ ~♪ 歌い始めたけど、彼女はものすごい集中力を発揮した真顔で、ずっと俺の指をみている。 声だって聴いてくれてるのかよく分からない。 なんだか不思議な感じだ。 不思議な子と不思議な時間をすごしている。 でもすごく居心地がいい。 ずっとこのままでいられたらいいのにと思った。 彼女は明日にはロンドンに帰る。 遠く離れた彼女の居場所に。 だからせめて今だけ、この声が届くように、心の奥にいつまでも消えないように。 言葉では伝えられないことを、歌にのせるという行為の意味を知った気がした。
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