確率0.1%の朝

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 出会いのきっかけは、彼の転入届の手続きだった。  あの日も金曜日だった。夜、たまたまコンビニ――例のアパート近くの店だ――で鉢合わせた。  どんな言葉が、あるいはどちらの言葉が発端となったかは覚えていない。互いに買い物を済ませた後、ビニール袋を手にぶら下げながら、私たちは並んで川辺を歩いた。  私はその日の午前中に仕事でやらかしたミスを彼に打ち明けて、彼は身体を壊して仕事を辞めてこの町に出戻ってきたことを私に打ち明けた。  後はそのまま、なし崩し的。  私が異性と関係を始めるときは、いつもそんな感じだ。ドラマチックでもロマンチックでもない、それどころか軽率だと誰かに咎められてしまいそうな始まり方。  とはいっても、私たちだって抱き合うときにはまるで愛し合っているかのようにそうする。金曜日の夜、それ自体が麻薬によく似た顔をして私に近づき、溺れさせる。麻薬の効果を実際に体感したことはもちろんないが。  寂しいからという理由だけで寄り添うことは寒々しい。けれど、打算を滲ませて人間関係を始めることは、もっと寒々しくて惨めだ。  私はそう思っている。他人、あるいは彼がどう思っているかは知らない。だから踏み込みきれない。  ありふれた出会い方や、勢いだけで始まった関係であることや、彼がいまだ仕事を探している最中であること……数え上げればきりがない。  大人になってからの恋は、それに付属するさまざまな要素は、どこまでも私を辟易させる。若い頃は、余計なことを考えるより先に没頭していた。気づけば恋に落ちていた。けれど、今は。  見計らって落ちている。  落ちるか落ちないか、落ちても大丈夫かどうか、考えてから、落ちる。  そんな自分が滑稽でならない。そこまでして恋をする必要はあるのかと思う。その答えもすでに分かりきっていて、馬鹿馬鹿しくて笑う気にもなれない。  私の、そういう踏み込みきれない内心を読んでいるかのように、彼は夜の間に私の部屋を出ていってしまう。きちんと鍵をかけて、それをポストに入れて……律儀な人。その癖、好きだとか愛しているとか、その手の言葉は絶対に口にしない。  今夜も、そうなるのかもしれない。  ひとりぼっちで目覚める朝を寂しいと思うのは、隣に誰かがいるぬくもりを知っているからだ。  彼は、今まで私を抱いたどの男より丁寧に、そして優しく私を抱く。だから余計に寂しくなるし、悲しくもなる。カーテンの隙間から差し込む朝の日差しが、厭わしく思えてくるほど。  いっそ雑に扱ってくれるなら、私が手放せずにいる残り一厘分のこの期待も、諦めに変えられるだろうに。
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