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***  朝学習が終わった後、いつもより遅れて川田先生が教室へ入ってきた。走ってきたのか、はぁはぁと肩で息をしている。  川田先生は新任の若い女の先生だ。小さくて細く、赤い眼鏡が特徴的な、先生というよりまだ大学生というような雰囲気がある。かわいいかわいいとクラスの男達が鼻息を荒くしながら話しているのを聞くことがあるが、正直おっちょこちょいだしトロいし優柔不断で、俺からしたら、見ていてイライラするだけだ。  川田先生は授業や朝の会に遅れがちだが、今日は一段と遅い。いつもは遅れても5分程度だが、13分も遅刻している。長くてふわふわしたそんなスカート穿いてるから、階段で裾でも踏んでこけたのではないだろうか。  息を切らしながら川田先生は出欠確認を行い、皆を見回した。 「遅れてしまってすみません。今日は皆さんにお伝えすることがあります。‥‥少し待っていてください」  川田先生はそう言うと、教室を出ていってしまった。パタパタと廊下を走っていく音が聞こえる。  本当に川田先生は落ち着きがない。廊下を走らないで、なんてよく言えるよな。よっぽどお前の方が学校中走り回っているのに。生活指導という言葉をくっつければ何を言ってもいいと思っているのだろう。自分のことは棚にあげて。   「え、なになに、何か始まるの?」 「なんだろね、今日って何か特別な日じゃないよね?」  クラスがざわめきだす。  期待した嬉しそうな顔を見合わせ、皆口々に言う。    程なくして、川田先生が教室に戻ってきた。  その川田先生の後ろから、見慣れない顔の学生が一人、共に教室に入ってきて、静かに黒板の前に立つ。  寝癖なのか、癖っ毛なのか分からない少し乱れた黒髪に、眠たげな表情。両手をスラックスに入れて、体の重心を片足に乗せ、いかにも「だりぃ」とでも言うようなその態度。 「転入生の相場海斗くんです。みんさん仲良くしてくださいね」  川田先生はそう言うと、相場に向かって優しく笑いかけた。  こ、こいつ‥!!!  あの職員室の場所を聞いてきた、あの頭の悪そうな脳筋じゃねーか!!     「‥よろしくおねがいします」  相場は表情を変えないままボソッとそう言うと、軽く頭を下げた。    こ‥こいつ、転入生だったのか。はあ~~~まじかよ。こんな常識はずれの脳筋野郎が同じクラスに加わるなんて、最悪だ。もうすでに手に負えないくらいアホな奴らでいっぱいだってのに。 「転入生とかやば!!てかけっこうかっこよくない?いい感じ」 「まじそれな!なんか気だるげな感じがいいよね、彼女いるのかなあ!」  前の席の女子達が興奮した声をあげた。「やばい」だの「まじ」だのという明らかに頭の弱そうな薄い言葉を連発している。  うっせぇ黙れクソビッチ!まじでキモいわー。こんな頭悪そうなかっこつけが、気だるげでかっこいい?目腐ってんじゃねーの?‥まあお前らみたいな頭ゆるゆる女はこういう男がお似合いでしょうけどね。    そのとき、顔を上げた相場と  バチっと目があった。  相場の眠たそうな目が、ジッと真っ直ぐに俺を見つめてくる。    は?  なに、あいつすげぇ見てくるんだけど。  まあ、朝会ったもんな、あいつも俺と同じクラスでびっくりしてるんだろ。俺も正直驚いた。借りたハンカチをそのまま返す幼稚園児みたいな奴が同じ歳だったということにな。  すると相場が、俺を見つめながら、微かに口角を上げた。にこっというより、フッというような鼻にかけるような笑い方だ。  あいつ、笑った?てかなんだその笑い方。馬鹿にしてんのか? 「えっと、菊川くん」  川田先生が俺の名前を呼んだ。  俺ははい、と返事をして相場から川田先生の方へ目線を移した。   「菊川くんは学級委員だから、相場くんに色々教えてあげてくれる?」  川田先生が眉を下げて少し困ったように笑う。俺に何かを頼むときの、いつもの表情。 「はい!分かりました、先生」  少し高めのトーンで、軽快で、声量はやや大きめの声で返事をする。この声で返事をしたとき、先生は一番表情が明るくなる。  先生は無邪気で元気な生徒が好きだ。体力の有り余った馬鹿騒ぎしている男たちを、無意識なのだろうが、贔屓しがちだ。子供らしくてかわいいとでも思っているのだろうか。  だから、少し無理をしてでも明るい声で返事をするようにしている。もちろん、先生からの印象を少しでも上げるためだが。 「相場くん、分からないことがあれば、あそこに座ってる学級委員の菊川くんになんでも聞いてね。」  先生が相場に優しい声で言う。  なんでも聞いてね、じゃねーよ。本当はこんなやつのお世話係なんてやりたくねーんだよ。なんでもかんでも俺が学級委員だからって押し付けやがって‥。  俺を見つめていた相場がまた、フッと微かに笑った気がした。        
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