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『遠くへ、遠くへ、遠くへいきたい。
いきたい、いきたい、いきたい、ここではない、遠くへ』
あの日から、僕の体は口を利きます。とはいえ、僕以外は誰にも聞こえない声です。
それは、僕の内側から、外側から、『遠くへいきたい』と毎日毎日訴えるのです。
内と外の、それぞれどの部分からなのか…。
腹なのか、胸なのか、耳の奥なのか。
――脳みそ、心臓、眼球、喉の奥。
爪の一つ一つから、髪の毛の一本一本。
多分正解はその全てであるのでしょう。
僕の体の細胞一個一個、その全部。皮膚に並ぶ細胞も、皮膚の内側の細胞も。内蔵、血液、神経、骨、僕の体を構成するすべからく。この、全身。
まるで、細胞に口が生えて、ずらりと並んだそれらが、揃って大口あけて訴えているかのように。
『遠くへ、遠くへ、遠くへいきたい』
僕も最初は驚き、気のせいかと思いました。あの日、あまりにショッキングなできごとがあって、だから精神的に参ってしまっているのか、とも。
けれども毎日毎日体から聞こえてくる声に、ついには無視しきれなくなって…ようやく僕は色んな人に相談しました。
友人は気のせいだろうと笑いました。
両親は病院に行こうと言いました。
医者は、それは病気だね、と診断しました。
けれども、
気晴らしだと友人が遊びに誘ってくれても。
両親が心配して優しく接してくれても。
難しいカタカナ言葉の薬を沢山飲んでも。
声は僕の全身から口を利くのです。
そのうち声だけでは収まらなくなって、僕の体は時折、ふらりふらりと勝手に動き出すようになりました。
授業中に突然ボイコット。
帰宅中に気が付けば全然知らない電車の中。
ベッドの中のはずが、目が覚めれば寝間着のまま隣町に。
笑うに笑えない現状に、両親には随分と心配をかけさせてしまったものだと思います。僕だって不安でした。
バチがあたったのだと…神にも祈る心持ちでした。
すっかり馴染みになった医者は、チェックシートのような紙きれ一枚で、僕の精神状態を計っていきます。
最近辛いことはあったか?―――YES
夜はちゃんと眠れているか?―――YES
食欲はあるか?―――YES
ストレスを感じることはあるか?――YES
意味があるのかないのか解らない質問の羅列が、僕という存在を決定づけていきます。
僕は、僕自身であるからこそ断言するのですが…正常な人間であると確認しています。ただ、僕の体が正常ではないだけで。
それでも医者から下された指示は、”即入院”。
しかも勝手に動き回らないように、ベッドに括り付けられて。
とても、とても暇です。やることがない。遠くへいきたい。
片手は自由にしてもらえたので、かろうじて読書はできました。僕は友人や母親にお願いして現状を打開できそうな、僕のこの現状と関係のありそうなことが書かれている本を、沢山持ってきてもらいました。
そもそも、入院中は読書ぐらいしかやる事がありません。
友人は、僕が彼女をなくしたばかりだからと、ご丁寧にエロ本まで持ってきてくれました。動けないから隠せないし、やめて欲しいとお願いしたからか、あの本はいつの間にかどこかへ消えていました。
あとは、気晴らしに、風光明媚な観光名所の写真集なんかも眺めながら、僕は必死に僕の体について調べました。
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