僕の体は口を利く

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 内臓移植に関わる本を読んだとき、僕の中で納得するものがありました。  とにかく、自分の体の思わぬ変化、意図せぬ行動について調べていたら、そこにいきあたることができたのです。  今のご時世、角膜、肝臓、腎臓、心臓、皮膚…ありとあらゆるものが人体から人体へ移植され、そして成功を収めています。  そしてごくごくまれに、そのような移植手術を受けた人のなかには、移植前とは全く違う趣味や行動に走ったり、あるいは性格がガラリと変わってみえることがあるそうです。  最も僕の場合は、移植ではありませんが。    告白します。  僕は、僕の彼女を食べました。    僕の彼女は死にました。自殺でした。海に飛び込んだのだそうです。  それまで、全くそんな素振りもみせていなくて、僕は知らせを聞いたとき、そして棺桶の中に収まった彼女の、エンバーミングの施された死体を見てもなお、信じられませんでした。  通夜だけでなく、お葬式にまで参列させてもらえたのは、彼女のご家族のご厚意です。彼女は生前、僕のことをご両親に自慢してくれていたようです。  僕だって、精一杯彼女を大切にしてきたつもりでした。ですがそれでも僕は彼女の悩みに全く気付いていませんでした。  勿論、彼女の自殺の理由も解りません。  ご両親はただただ嘆く悲しむばかりで、心当たりはない、と。  きっと、彼女だけが知る苦しみ、哀しみ、あるいは孤独があったのでしょう。それがわからないことが、とても悔しく、悲しかったです。  彼女の体が焼かれて、骨だけになって出てきた姿を見たとき、僕の中で色んなものが溢れました。焼けて熱い骨の、一つ一つをみんなで骨壺に収める最中、僕は周りの目を盗んで、骨の一つを制服のポケットに隠しました。  そうして葬式が終わって帰宅すると、彼女の骨をドライバーで砕いて飲み干したのです。    今にして思えば、なぜそんなことができたのかわかりません。同じような行動を…多分、小説か漫画で見たのだと思います。  その時の僕は、まるで物語の中の登場人物です。「これでずっと一緒だ」なんて、使い古されていそうなクサい台詞を呟いた気もします。  そうです、僕の体の中には、彼女がいます。僕が飲み込んだ彼女が、僕の体に溶け込んで、僕を構成する細胞の一つ一つになったのです。  きっとこの声は彼女のものです。  『遠くにいきたい』とは、彼女の望みなのでしょう。  僕は病室のサイドテーブルを見ました。持ってきてもらった本が積み上げられています。  医学書だとか、オカルト本。そしてそれ以上に、海を撮影した様々な観光名所の本。  さて、僕はここ数日とっても大人しくて、とってもよい入院患者だったでしょう。ベッドから逃げ出す様子も見せず、言動も他の入院患者に比べて大人しい。  馴染みの医者は言いました。    「この調子なら、すぐに退院できますよ」  その声に重なって、僕の体は訴えます。  『遠くへ、遠くへ、遠くへいきたい。  いきたい、いきたい、いきたい、ここ(・・)ではない、遠くへ』    僕自身はまだ退院ができるとは思っていません。このベッドにくくりつけられた状態は、むしろ願ったり叶ったりです。このベッドと僕の体を結ぶ紐は、まさに命綱なのです。  けれども僕は、退院したくないとは言えません。  僕の体は口を利きます。  僕の体の、内も外も、僕を構成する細胞一つ一つ、そこに生えた口が、揃って訴えます。『遠くへいきたい』と。  僕はそれに逆らえません。  だってもう、僕の口はとっくに、僕自身の口ではなくなっていたのですから。
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