第十三連鎖 「打チ上ゲ花火」

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第十三連鎖 「打チ上ゲ花火」

打ち上げられた花火が夜空から流れ落ちていった。 息子の顔を照らしては消えていく。 暗くなってしまった為に妻の顔は見えない。 また次の打ち上げ花火が続いて夜空に咲いた。 息子の嬉しそうな顔が明るく照らされる。 「あの花火が一番好き。」 「あれは枝垂れ柳っていうらしいよ。」 「シダレヤナギ…?」 「そう。」 「シダレヤナギ…。」 そう言った途端に息子の両目尻から涙が流れ落ち始める。 それはやがて赤く染まり、血の涙へと変わっていった。 「おまえ…!」 そして息子の額に赤く反対に書かれた文字が浮かび始めた。 それは人名であり、息子の命を奪い取った名前である。 彼は過呼吸になって、その苦しみで目覚めた。 長い間、警察官を生業としてても心は強くなっていないんだな…。 分かっている…、もう分かっているよ…。 目覚めて暫くしてから、タイマーのアラームが鳴った。 昨晩は息子の通夜だった筈だが…。 窓の外は風によって全てが揺れている様に見えた。 また、雨によって全世界が泣いている様にも見える。 …ごおう、…ごおう。 ざざざあっ…、ざざざあっ…。 大型台風が吹き荒れて猛威を奮い続けていた。 既に西日本の被害は想定を遥かに超えて史上最悪と称されている。 それが徐々に近付いてきているのだ。 第一発見者の青年は凍りついて動けない。 確かに血だらけの太った少年が画面から自分を指差してきた。 あいつが少年を自殺に追い込んだボスに違いない。 だが何故あの現場にいて、カメラに映っていたんだ…。 その嗤った顔が段々とズームアップされていく。 彼は続けてニュース番組をサーフする事しか出来なかった。 そのボスを自殺に追い込んだのは自分だ…。 それが彼等の担任を自殺に追い込んだのかも知れない。 更に担任の両親が自殺してしまった。 これは自分の責任なんだろうか、…どうすれば良いのだ。 彼は画面を見つめながら動かなくなってしまった。 もう、動けなくなってしまったのである。 副会長を威嚇射撃で射殺して逃亡した元巡査が射殺された。 そのニュースが台風情報の合間に文字で流れていく。 地域住民は安心し、もう台風の動向に関心を移している。 その情報を少年の父親である刑事は車内で受け取った。 射殺された巡査は彼の同僚の末弟である。 彼とも顔見知りで、一度だけだが一緒に食事をした事もあった。 それは巡査が警察学校を卒業し、配属が決定した祝いの席である。 同僚と巡査を彼が家まで送っていったのだった。 巡査はカーステレオから流れている音楽に興味を持った様である。 彼は音楽、特に洋楽を好んで聴いていたのだった。 「ハードだけど、良い曲ですね。」 「そうだろ。」 「荒いけど繊細な感じがしますね。」 「このバンドの名前は、日本語で言えば涅槃なんだぜ。」 「ネハン?」 「後でググってみれば色々と興味深いよ。」 「…はあ。」 その興味津々だった巡査の顔を思い出してみる。 彼が四人もの人を射殺した挙句に射殺されてしまったなんて…。 息子を失くしたばかりなので、同僚の気持ちが察せられた。 もう警官は続けられないだろう。 一緒に連れてくれば良かったのかな…。 刑事はカーステレオを点けて音楽を流し始めた。 皆で最後に聴いたアルバムをリピートしているだけである。 「今日は、今迄で一番ボーカルが心に響くな…。」 彼はボリュームを上げて、車のスピードも上げた。 豪雨の中、隣の所轄へと向かったのである。 人質から解放されたライターは、警察の事情聴取を終えて帰宅した。 射殺された巡査へのインタビューをデスクに送ったのを確認する。 彼に見えていた太った子供の映像は残っていなかった。 確かに自分には見えていた、おそらく巡査にも。 なのにカメラに残っていない、これはどういう事なんだ。 どう考えても説明が付かないのである。 この時点で、記事にしても信憑性が格段に下がってしまう。 オカルト系の雑誌におけるリアリティが薄れるのだ。 呪いのドミノなんて信用していないが、それにしても。 彼は帰宅してから、編集部に連絡しデスクと相談していた。 デスクはオカルト信者であり、それが高じて雑誌を立ち上げたのだ。 「映像は詳しく見たけど何も映っていない様だが…。」 「不思議な事に、そうなんですよ。」 「読者に伝わらない不思議は必要無いんだよなぁ。」 そのままインタビューを掲載したとしても戯言にしか聞こえない。 オカルト的でも実証が無いと読者が納得しないだろう。 犯罪的ではなく事件性も無い、自殺か事故か曖昧なのが数件。 死亡者数は多いものの…。 「やはり呪いの方向性で進めて欲しいんだがねぇ。」 「暗示とか催眠術の可能性はどうですか…?」 「催眠術だとすると術師が特定出来なければねぇ。」 「全員に接触ですか…、不可能ですね。」 「人間はね、暗示で自殺は出来ない様にプログラムされてるんよぉ。」 「そうなんですか。」 「空を飛べ、とかなら出来るんだけどねぇ。」 やはり死亡した全員と関係を持つ人物なんて存在していない。 催眠術も暗示も無理が在る…。 「裏宗教的な事とか、飛躍するけどウィルスとかの可能性は?」 「まだ可能性は在るかな…低いけど。」 「どっちですか?」 「ウィルスは未知のものなら在り得るだろうねぇ。」 でも、もしウィルスだとしたら媒介は何なのだろう? この地域だけに、爆発的に死者が増えているのだから。 「でも全ての可能性を包括して呪いとすればいいんじゃない?」 デスクは雑誌のカラー的にオカルトに寄せたいのだ。 でも確かに合理的な説明が全く付かないのは事実である。 科学的な根拠なんて一つも提示出来ないし。 これが偶然だとしたら、どれ程の確立で起こるのだろう。 せめてカメラに映像でも残っていてくれれば…。 彼は事件の時の自分のカメラを再生してみたが映っていない。 ふと思い出して自分のスマホの方の画像を再生する。 彼は驚愕の余りスマホを落としそうになった。 そこには確かに警官隊の前に歩く子供が映っている。 太っていて血まみれの子供が…。 これは、どういう事なんだ? 彼は全く理解出来ずに吐きそうになっていた。 彼は慌ててデスクに連絡し、スマホから写真を送信する。 デスクのパソコンとスマホに。 直ぐに電話が掛かってきたので焦って通話ボタンを押す。 意に反してデスクの声は落ち着いていた。 「やっぱり映ってないよぉ。」 「えっ!」 「お前、疲れてんじゃないのかぁ。」 ライターは目の前の子供の写真を見ながら愕然とする。 そして徐々に震えが全身に拡がっていった。 何も映っていない? これが? その時に彼は戦慄した、これは危険なのではないか。 自分自身が絡め捕られていっているのでは…。 恐怖が、こんな形で自分に近付いて来てるなんて。 彼は以前に記事で使用した言葉が急に心に浮かび上がってきた。 それはニーチェの言葉。 深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。 刑事が到着したのは全ての事についての現場であった。 単なる駅前の公営団地。 息子と妻が暮らしていた家で、息子の最期の場所。 息子を殺した家族の家でもあり、おそらく今も妻は暮らしている。 どうせ引っ越さなきゃならないなら、全てを清算しておきたい。 刑事は裏の駐車場に車を止めた。 息子が通っていた学校が目の前に見える。 授業参観に行きたいと言ったが、妻に拒否された事を思い出す。 息子の最期の場所を通りエレベーターホールに入る。 片方のエレベーターは故障点検中であった。 それから彼は、妻と息子が利用していたであろうエレベーターに乗る。 押したのは13階のボタン、妻の住居ではない。 息子を追い込んだ家族の住んでいる部屋を目指した。 息子の額に刻まれた名字から、住居は簡単に特定出来たのである。 13階に着いてエレベーターのドアが開いた。 途端に空気が変わったのを感じたのである。 刑事という職業柄からか、第六感的な感覚が研ぎ澄まされていたのだ。 その空気の密度は、死の匂いも含んでいるのが分かった。 彼は目指した部屋のインターホンを押した。 暫くして、インターホンから声が返ってくる。 「こんな時間ですが、どちら様でしょう?」 割と若い男性の声であった。 彼は警察手帳をインターホンのカメラに向かって見せる。 また、声が続いて返された。 「それで、何か?」 「奥様を撃った犯人が射殺されたので、詳しいご報告にと…。」 暫くしてから、ドアのロックが開いたのである。 彼は中に通された。 奥へと案内してくれたのは、おそらく身内ではなく秘書だろう。 ソファーで彼を迎えたのが、ボスの父親である。 妻と息子を同時に失くしているのに悲しそうではなかった。 刑事は署で得た情報の通りなんだな、と確信する。 彼は有名な国会議員の義弟であり、次の区議会議員候補である。 妻と息子とは形骸化した家族であり、自分は事務所に住んでいるとの事。 そこでは愛人を選挙運動員として雇っているらしい。 今回の悲劇を次の選挙戦に利用するのでは、との噂が立った。 「手短に、頼むよ。」 慇懃無礼に言われた刑事は、一連の経過を説明した。 奥方の方は事故であり、その事については正当防衛である。 だが巡査は逃亡し犯行を繰り返して射殺された。 警察側としては今後、責任を問われるであろうという事。 ボスの父親は全く興味が無さそうに聞いていた。 一緒に聞いていた秘書にボスの父親が言い放つ。 「ポスターは喪服でいこうか。」 「…喪服、…ですか?」 「全部黒にすれば良いだけだ、日本人は弔い合戦が好きだからな。」 「…分かりました。」 刑事は目の前のやり取りを信じられない思いで聞いていた。 自分の身内の不幸さえも政治的に利用してしまうのか…。 こいつに悲しいとかの感情は在るのだろうか? 秘書は部屋を出てリビングの電話で連絡をし始めた。 もう区議会議員選挙まで日にちが少ないのだろう。 二人きりになったので刑事は切り出していく。 本当の目的は全く別の所に在ったのだ。 「この度は息子さんにつきましても…。」 「息子…?」 「失くされたと…。」 「ああ…自殺らしいな。」 やはり全く悲しんではいない。 こいつは本当の親なのか、…本物の人間なのか。 「一部で息子がイジメをしていたとの報道が在ったらしいが。」 「はい。」 「それは儂への選挙妨害でしかないからな。」 「…でも。」 「被害者ぶったガキの話は聞いておる。」 「被害者ぶったガキ…ですか?」 刑事は瞬時に瞳を紅く染めていた。 こめかみの血管が浮かび上がって脈打っている。 「儂の息子に容疑を押し付けて自殺したらしい、と。」 「しかし…。」 「しかし、じゃないんだよ君。」 ボスの父親は興奮したのかソファーから立ち上がった。 腰を下ろしている刑事の前に立ちはだかる様に。 彼は見上げる形で父親を睨んだ。 「そのガキの母親は水商売上がりらしい。」 「母親…。」 「そんなガキが自殺しようが、知った事じゃ…。」 ばんっ。 大きく開けられた口に向けて刑事は拳銃を撃った。 弾丸は後頭部から血を噴出させて貫通していく。 父親は撃たれた勢いでソファーに座りこまされた。 その反動で頭部がガクンガクンと揺れて、停止したのである。 撃った刑事は立ち上がって、逆に父親を見下ろした。 先刻まで雄弁だった亡骸は黙ったままになる。 同じ団地の階下に、その銃声は響いたのである。 自殺した少年の母親にも、その音は届いた。 少年の通夜を終えて母親の感情も死んでしまっていた。 それなのに、その音は母親の心を揺らしたのである。 彼女は遠い記憶を呼び起こされていた。 それはまだ親子三人が水入らずで暮らせていた頃の想い出。 夏休みに行われた近所の河川敷での花火大会。 父親の休みと合ったので家族で観に行った。 息子が気に入った花火の打ち上げられる時の音。 それに似ていた。 嬉しそうな息子の笑顔、それを見ている彼の横顔。 本当に楽しかった。 今年も皆で観に行けたら良いのにな…。 轟いた銃声に驚いた秘書が飛び込んできた。 ソファーに埋もれた亡骸と血まみれの壁を見て震える。 口を大きく開けたまま、凝固して動けない。 その時に秘書は見てしまった。 ソファーの前のテレビモニターに映る少年を。 悲しそうな顔をして、部屋での出来事を見ていた。 秘書は自分が見ている何が現実か区別が付かなくなる。 刑事は再び撃鉄を起こした。 その音が聞こえた秘書が、彼の方に視線を向ける。 刑事の頭の奥の方でギターのワンフレーズが鳴り響く。 彼は拳銃を咥えて引き鉄を引いた。 ばんっ。 崩れ落ちた彼は、息子に逢いに涅槃に向かったのだ。 彼の後頭部から飛び散った血がリビングの白壁に模様を描く。 それは彼の息子が大好きだった打ち上げ花火に似ていた。 …シダレヤナギ。
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