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〜不思議な冒険〜
ダンジョンは元々あったものなのか、それとも何かの悪意によって生み出されたものなのか。判別など付かないが、内部はこの世とは思えない有様であった。
嫌な所を挙げていこうか。
ひとつ、どこからともなく漂ってくる腐臭。灯りのランプの火種が時々、空気の中の何かと反応してさらに焦げ臭い煙を上げる。
ひとつ、まとわりつく湿気。息を吸えば己の肺がその毒気にやられてしまいそうだ。
おまけに壁面はぬるりと湿っており、押すと腕を飲み込むように、拡がり縮んでいくのであった。
依頼にはマッピング、とあったがなんのその、道はくねくねと蛇行するものの一本道。依然、湿り気を含んだ空気が纏わりついて不愉快である。
さて、ここが魔物の巣に該当するのかどうか。
そもそも穴蔵にも色々あるが、全てが魔物の棲家という訳ではない。今では魔物が棲まない様に整備されているもの、そもそも坑道や遺跡など人工的に空けられた穴などでは魔物と出食わす可能性は低くなる。
特に古くから開拓されたここバドニーにおいては、魔物の巣食う穴は幾つか数える程だ。
『アカルクテラセ』
「ん。お嬢様何か言ったか。」
「い、いえ。灯を点す呪文を詠唱しておりましたのよ。」
「お、そういや明るくなったな。サンキュー。」
いつの間にか、異臭のタイプが変化している事に気がついた。
「なあ、お嬢様よぉ、普段マッピングの時って臭いの変化までメモったりするかい。」
「い、いえ…。か、かなり特殊なケースですわね。というか、この臭いなんとかなりませんの。」
そんな、間の抜けた瞬間の事だった…。
『野蛮な侵入者よ。立ち去りな。』
何かが目の前をかすめた。
「伏せるのですわ。」
左の壁面に目をやると、それが魔物の一部から放たれた爪のようなものだと分かった。
「今の攻撃、よくかわしたねえ。」
ダンジョンの内部に何者かの声が響く。
「何か来ますわよ。」
遅かった。男は左腕を裂かれ、鮮やかな血しぶきをあげていた。
「なんてことを!逃しはしない。」
女は剣を抜くが先か、先程自分たちを襲った影に向かって撃を放った。
「あんた…やるねぇ。何者なのぉ。」
「そちらこそ、突然襲って来ておきながら、どう言うつもりですの。」
両手の長く鋭い爪で女の剣を受け止めたその魔物〈モンスター〉は口元をニヤリと持ち上げ
「ここはアタイらの畑になるのサぁ。邪魔されちゃあたまったもんじゃないよ。」
「何だか知りませんけど、この平和なバドニーの土地でおかしな真似は許しませんわよ。」
「それは誰が決めた掟だい!」
「あれやこれやとうるさいのですわ。」
硬い爪と、剣とのぶつかり合う音が続く。
「わたくしのバドニーにはどんな悪も近づけさせませんわ。」
「神が与えたこの大地が…、アンタのもんだって?」
女は怒りからか、少し口を歪めた様に見えた。
「それこそ、あなたは魔界のご出身でなくて?ガイアの理をどうこうしようなどと、おこがましくてよ。」
「できればアタイだって、神々の秩序を侵してまで…そう、血を汚す生き方なんてしたくないさ。」
「隙ありですわ。」
女は剣で魔物の爪を弾いて距離を取り、再び切りかかる。
「でやぁぁーー!」
「動きが単純だよっ。お嬢様っ。」
「それではダメですわね。」
女は背後に回り込もうとする魔物の虚をついて、踏み込んだ足を軸に半回転。
その遠心力を利用して、大剣を輪を描くように水平に振るった。
一陣の風と共に、魔物の胴体が横真っ二つに断たれその足下に崩れ落ちる。
「まさか…これほどの強者がいるなんて…聞いていない。」
「最期の言葉はそれでよろしくて?」
魔物の生命はまだ途絶えてはいないようだ。
それが魔物に生まれた性だと云わんが若く。
「最後に、最後にアンタに頼みがあるんだ。」
魔物がヒトに頼み事など、命乞いで無いならば珍しいことだ。
「わかりましたわ。わたくしに出来ることであれば聞き届けます。」
「あの方に…、魔族の一派を知性と平成で統治されるあの高貴なお方と…もし刃を交えることがあったら伝えて欲しい。爪自慢の魔物の最期は決して穢れた物では無かったと。過ちを犯す前に魂は解放されたのだと。」
女は穏やかに瞼を閉じ、軽く頷いてみせた。
「その時が来れば、必ずその思い…、伝えますわ。」
「ありがとう。さあやっちまいな。」
女は剣を頭上に掲げ、呼吸を整える。
するとどこからともなく暖かな光が集まって来るのだった。
『タマシイハハハノモトヘ・カラノウツワハハハノモトヘ』
やがて、いっぱいの光が魔物を包み込み、ふわりと消え去った後には何も残っていなかった。
そして魔物との一件を済ませた女は、すぐさま男の元に駆け寄った。
「傷は、傷は大丈夫ですの。」
「ああ、少しかすめただけだ。お嬢様はやっぱり強いんだな。」
「そんなことは…それよりあんな上級の悪魔がいきなり姿を現すなんて、やはりこの依頼自体を疑う必要があるようですわね。」
「上級…悪魔だったのか。俺はそんなの見た事もないから全然わからないんだが。」
「あの魔族は本来なら魔界に巣食う…。魔界の魔力濃度でないと長くは生活できない種族ですわ。なぜこんな所に。そういえば、悪魔を倒したのにまだ魔力波動が消えない。」
周囲には未だに嫌な空気が漂っていた。そして、鼓動を打つように地面が揺れるのである。女はダンジョンの違和感の元を確かめるため、今一度壁面を触ってみた。
ガチン!
ダンジョンの壁面に突然、牙をたくわえた口の様な器官が姿を現した。ひとつ現れればまたひとつ。
「もしかして…このダンジョンは…、」
「少なくともこの『壁』は生き物みたいだな。」
牙は幾つにも増え、男と女に襲い掛かろうとしている。自分一人なら剣技で何とかしのげるだろう、女はそう考えていた。しかし手負いの男を抱えて、となると脱出はおろか、ここからの移動も困難なことは易々と想像出来るのだ。
ザクっ。
女は牙をたくわえた触手のひとつを斬り落とすことに成功した。ドロリと溶け去った触手の中から、黒くてピカピカした物質が現れた。
「これは…、もしかしてダーククリスタル。」
「なんだい、お嬢様。その…ダーククリスタル…?ってのは。」
「魔界で、暗黒の念が凝縮して出来上がったと言われる鉱物ですわ。人や動物がこれに侵されてしまうと正常な心まで闇に堕ちてしまうそうですわよ。」
ザクっ、ザクっ。触手は絶えることなく二人を襲い、切り落とされ、その度にダーククリスタルが足元を埋め尽くしていく。
「埒があきませんわね。これだけは使いたくありませんでしたのに…。」
我、神と精霊に願います……『セイナルイカヅチデヤキツクセ』
女のかざした剣に眩い雷が降りた。女はその雷撃ををまるで羽根を切っ先に乗せているかのように軽々と扱い、壁をひと薙ぎした。眩しい太陽の明かりが壁の裂け目から差し込む。女は無事に男を脱出させる事ができたのである。
少し離れた場所からみると、なんと。
魔力で偽装されていたダンジョンは、本来の姿、大きなドラゴンの姿に変わっていた。つまり、男と女はドラゴンの体内に喰われていたのだ。悪魔はそのドラゴンの腹の中で、十分な魔力を得て生きていた訳だ。
「な、何て事を。わたくし、許せませんわ。」
「ま、いいじゃねえか。悪魔もドラゴンもぶっ倒した訳だし、一件落着って事で。」
「わたくし、ドラゴンは倒してませんわよ。」
「はあ、何言ってんだよ。あんな危険生物、なんで倒さねえんだ…。いや、倒せなかったのか。」
「あなた、ドラゴンを…、龍という生き物をご存知ないのかしら。龍というのはそもそも、魔族とは全くの無関係、とても賢くて尊い種族なのですわ。そう、早くあのドラゴンをお助けして差し上げなければ。」
女は今し方、自分を喰って餌にしようとしていたドラゴンの元へ駆け出していった。そしてドラゴンの顔に飛び乗り、その吻を優しく抱きしめる。その姿はまるで精霊や天使のように。
今まで静かに横たわっていたドラゴンだが、女の呼びかけに何かを感じたのか、雪の国にたたずむ千年杉ほどもある首をもたげて暴れ出し、女を振り落とそうとし始めた…今まで散々閉じ込められた心に触れてくれるなと言わんがばかりに。
「くそぅ。やっぱりドラゴンなんて危なっかしいじゃねえか。」
暴れ回るドラゴンに尚も女は語りかける。
「大丈夫、怖くありませんわよ。痛かったね、苦しかったね。でも、今日からあなたは自由ですのよ。一緒に頑張りましょう。」
クォォォン。それは遠くにいる仲間への呼びかけであろうか。このドラゴンは既に自分の死期を予感しているのか。
「落ち着いて。精霊の力はきっと、正しき者に導きを示してくれます。あなたもそう…、そうでしょう。精霊樹の加護は平等に与えられるのだから。」
分厚い雲に覆われた空。怒れる龍の鼻先に振り回される女を、眩い光が包み込んだ。その光に心を落ち着けたのだろうか、ドラゴンもゆっくりと首を地面に降ろしたのだった。
「お、ひと段落着いたかねぇ。」
「そう、辛いけど、体の中の悪い物を追い出しますわよ…。いち、に、いち、に…。」
ドラゴンの鼓動が響き渡る。ドクン、ドクン、と。女の掛け声と共に、優しく広がる光と共に。
ドシャっ。
ドラゴンの体内から、大きな塊が飛び出した。体内でも見た、ダーククリスタルに似ている。それは、時間と共に、どんどん吹き出してくる。そう、数十、数百と。
クォォォン。ドラゴンは、大きななクリスタルのかけらを排出する度に、痛み、苦しみと闘っているようだ。力いっぱい、天に向かい雄叫びを上げる。するとその額から、一際大きなクリスタルの結晶が捻り出された。そして、ドラゴンの身体が一瞬、眩い光に包まれたのだった。
「頑張りましたわね。」
「クゥゥン。」
「おいおい、お嬢様よ、ドラゴンに何したんだよ。」
「このドラゴン。乗っ取られていましたわ。身体中に信じられない数のダーククリスタルを寄生させられて。心も、誇りも全て失って、魔族の手下にさせられているのに屈辱さえ味わうことができない状態でしたのよ。記憶を呼び覚ましてみたら、どうせなら死を、と願うばかり…。こんなひどい事をもう起させてはいけないと思いますの。」
「そうか。お嬢様、結構いい奴なんだな。」
「そんな事…、ございませんわ。」
なのに、なのに、女の瞳をうるわす涙はいったい何だというのだろう。
「もう、お前は一人で龍の巣に帰れますわね。しばらくゆっくりして心と身体を休めるのがよろしくてよ。またお会いできるのを楽しみにしていますわ。」
バサッ、バサッ。
「やっぱり、ドラゴンってのは空を飛ぶんだな。」
「ドラゴンはこの世における絶対の制空者。見ました?ダークドラゴンと化していたあの子は元々、あんなに立派な赤龍だったのですわ。」
「ああ、夕陽に向かって消えていくようだぜ。しかし、なんだ。目の錯覚かもしれないが、あの大量のクリスタルが虹色に輝いて見えるな。なんか、どっかで見たような…。」
…
……
ところで、町に戻ってみてびっくり。誰もダンジョン探索の依頼の事など知らないと言う。もちろん記述、記録などもどこにも残っていない。ただ、なぜかわからない理由でたんまりと報酬が貰えたのは内緒にした方が良さそうだ。
そして、ちょっとした冒険の舞台を嗅ぎ回るネズミたちがいたことも、誰も知らなかった。
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