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〜本物の勇者〜
男と女はいつものカウンターではなく、奥のテーブル席に腰掛けていた。思わぬ依頼の報酬で余る程の金を稼いだから、今夜は贅沢なコース料理も予約しておいたのだ。テーブルにはゾロゾロと美味しそうな料理が並べられる。
「美味い、美味いなあ。ところでよ、今日の依頼…。」
男はそう言いかけたが、言葉を一旦飲み込んだ。それを言葉にするのははばかられた。あまりにも訳有りすぎた。男はもうひとつ、疑問に思うことを投げかけてみた。
「お嬢様はよ、強いのはわかるけど最後のあの魔法。あの魔法ってのはさ、あれは勇者だけが使える聖法術って奴じゃないか。何かの本で読んだことがあるんだが。」
料理を取り分ける手が止まり、静寂がその場を包んだ。少しして女が口を開く。
「隠すつもりは…いえ、隠すつもりしかありませんでしたわ。薄情と思われるかも知れませんけれど。こんな事、民間人に知れたら大変な事ですもの。」
「じゃあ、俺もあんたの薄情に付き合ってやるよ。お嬢様が何者であれ、どんな事情があっても、誰にも漏らすほど興味を持たねえし、それでダメならすっぱり忘れてやらあ。」
女はまた、まんまるの目をして驚く顔をフードで隠すのだった。そして普段よりひとつトーンの高い声で咳払いをして、話し始める。
「その通り、わたくしは勇者ですわ。冒険者としても金星で12個。お分かりですわね。」
男が口を挟んだ。そこにどうしても解せない事があるのだ。
「俺も勇者は知っている。実際この目で見た事もある。魔王討伐軍の出陣式の時に一度、帝都で演説会を開いた時に一度、だ。だけどよ…。」
男がもごもごと何かを言いかけている。
「勇者は男性でしたでしょう。」
ーーー女が先手の一言を放った。
「そう、若い男だった。お嬢様とは全然別人だぜ。なのになんでお嬢様が勇者なんだ、なんで俺は目の前でそれを確認しちまったんだ。」
「簡単ですよ。影武者です。」
「え、どっちが。」
「あの男の方ですわよ。あの男は剣の腕はそこそこですが、本物の勇者ではありませんの。言わば演説用の代役、といったところですわね。勿論、弁の立つ者が選ばれたみたいですわね。」
男はそれこそ意味が分からなかった。なぜそんな事をする。
「もうこの際だから、あなたに教えてしまいましょう。歴代の勇者をご存知ですか。」
「ああ、皆んな鬼のように強かったって、教会のお説教の時間に習ったぜ。」
「性別はどちらだと。」
「渾々と名前を暗記させられたが、全部男の名だったと思うぞ。」
「実はそこにトリックがあるのですわ。」
何のトリックだ。全然分からない。
「お嬢様ももしかして男の名前なの?」
「そんな事あるわけないでしょう。」
「じゃあ何?」
「勇者の血、とは実は女系の家系に受け継がれるものなのです。」
「どういうことだい。この世の教会という教会はみんな嘘を教えてるって言うのか。」
「そうです。嘘を教えています。その嘘の言い伝えは、代々勇者の血筋を絶やさない為に広められたものなのです。もし魔王の手の者に本当の事が知られて血筋が狙われてしまえば、いつか魔王に対抗する手立てが無くなってしまう可能性だってあるでしょう。男性の影武者を立てるのも同じ理由からなのですわ。常識が常識であるべき世界など、脆いものですから。」
「なんだよそりゃ!じゃあ俺たちは神様にすら騙されて生きて来たってことか。わかんねえ、生きるってどう言うことだ。」
「人はただ一所懸命にその寿命を全うすればいいのですわ。その人生のどこかに絶望が待ち構える時、勇者は現れその困難を取り除く。たったそれだけ…簡単なことですの。謂わば勇者こそがこの世界の影の道を歩む者…。なのです…、ね。」
「そうか、そうだな。社会ってもんには、必ず隠しておかなくちゃならない決まり事ってのがあるもんだ…。でもよ、お嬢様はそんな、世界を裏切るような嘘を背負い込んでずっと生きてきたのか。それって辛くはなかったのかい。」
「いつの頃からか、平気になりましたの。」
「嘘の影だけに生きて、誰にも知られず傷つき疲れ果て、心を癒す場所もない。君はどこに羽ばたこうというのか。」
「あら、随分と詩的な台詞をおっしゃいますのね。」
男は急に恥ずかしくなった。女の指摘が的を射ていたからだ。その台詞は友人の売れない吟遊詩人が謳った一節で、なぜか気に入ってしまい、好きな女でも出来れば自分も吟じてやろうと企んでいたものだったからである。
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