ドレスアップして話したい夜

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   〜そんな勇者と冒険者〜  その頃わたくしの心を奪っていたのは、名もない冒険者だった。ちょうど中級になりたてで、効率の良い依頼をこなそうと必死になってその瞳を輝かせていた。そんな光にわたくしは惹かれてしまったのだろう。  わたくしはと言うと、すでに勇者としての加護を受け、魔王軍との決戦に向けて着々と力を蓄えていた時期であった。戦闘力を比べるならなんてことはない、彼よりは何倍、いや、何十倍もわたくしの方が強大であったのは間違いない。  だけれども、何事にも一所懸命に取り組む彼を応援し、付き従うことにわたくしは夢中になっていた。そんなわたくし自身が何とも健気に感じられ、彼と同じ光の中でひとときでも生きられる事に僅かな(ゆる)しを求めたのかも知れない。  天気の良い日は草原に身を委ね、昼食を共にし、時には綺麗に咲き誇った花の香りに包まれながら、笑い、語らい、黄昏時には別れのキスをねだる。  そんな毎日が続くものだと思っていた。だけど、冒険には危険が付き物なのだ。  ある日、彼はダンジョン探索中に、大事にしていたお爺さんの形見のアイテムを落としたと言い出した。わたくしの屋敷の扉を叩いたのはもう夕陽が沈む間際。そのダンジョンは普通なら大したレベルのダンジョンではないのだけれど、夜には強力な霊系のモンスターが出るので、今の彼に行かせる訳にはいかない。  必死で止めたけれど、誰かに拾われたら大変だと一向に引いてはくれない。それならば、わたくしが同行すればまだマシかと思い食い下がって後を着いて行くことにした。  このダンジョンは古くから探索されているので、マッピングは十分である。彼がその日通ったルートを始めから辿って念入りに地面を探す。  ない。どこにもない。とうとうその日通ったルート最後の行き止まりまで来たが、アイテムは見当たらなかった。  行き止まりから引き返そうと振り向いた瞬間、わたくし達の背中に寒気が走った。複数のゴーストが焦点の合わない真っ赤な目でこちらを睨んでいたのだ。彼もわたくしも剣を抜いたけれど、通常の剣技ではゴーストの霊体はすり抜けてダメージは通らない。うまくかわして逃げようとしても、ゴーストが体当たりで波状攻撃してくるので、そんな隙はない。  彼はどんどんダメージをくらい、虫の息となっていた。わたくしは聖法衣を纏っているお陰でダメージは受け付けていない。ゴーストの霊体は近寄ることすら許されないのだ。こんなにも駆け出しの冒険者と勇者では実力に差があった。  わたくしは迷った。聖法術を込めた剣技であればゴーストを簡単に撃退出来る。しかしそれは、彼にわたくしが勇者であると少しでも疑いを抱かせるきっかけにも成りかねない。それは、全世界の掟のため、絶対にあってはならないことなのだ。  一瞬倒れ込んだかと思われた彼の身体がピクリと動いた。そして血走って焦点の合わない目でこちらを睨みつける。  憑依(つか)れた。  こうなる危険性は十分に予想出来た。  食い下がってでも止められなかったのか。  理と論をもって説得出来たのではないか。    何を後悔しても今の状況は変わらない。一体どうすればいいのか。  聖法術では魔に乗っ取られた彼の肉体を癒すことはできない。このままだと彼の肉体は腐り果て死霊と化してしまい、ただのモンスターに成り下がってしまう。一体化してしまった彼の魂から悪霊を無理に引き剥がそうとすれば、風船が破れるようにどちらも消滅する危険性があってとてもわたくしの手では出来そうもなかった。その時点で彼の中から死霊を追い出すことはほぼ不可能となった。  だから、だから…もう討つしかないんだ。  剣に聖法術を込めて…。  愛している彼の身体に…。  それは、生きてきた中で最も残酷な感触であった。それがゴーストのものであったのか、最後まで執念でこびり付いていた彼の魂、意識から絞り出されたものだったのか、今はもう思い出せない。ただただ苦悶に歪む叫び声だけが、剣を通してわたくしの心に鈍く響いたのであった。  彼を守れなかった。  それどころか、わたくしがこの手で彼を葬り去ることになるなんて。彼の身体を、その魂を。涙が止まらなかった。今までどんな失恋にも涙したことはなかったのに…、恋とはこんなにも悲しい別れを含んでいるのか。ならば恋など無用だ。自分が強くなるほど重荷になって行く恋など、勇者には不釣り合いなのだ。  泣きながらダンジョンを徘徊し、彼の遺品を探した。視界に入ったモンスターを自暴自棄になって片っ端から消滅させていった。そんな事しても何にもならない…、剣を振るう度にこぼれる涙が小さな灯りにきらめいて、より物悲しさを演出するのだった。  彼が攻略していない通路に足を踏み入れた時だった。グラグラと地面が揺れ、天井の岩が少しばかり崩れ落ちた。もわんと立ち上った土煙の奥から何かが姿を現したのだ。  ゴーストの大ボス。そんな存在は今まで確認されていなかった。  『unknown』情報にない敵。相手の強さも行動パターンも未確認なので十分用心せねばならない。姿は巨大な骨だけ人間にボロのマントを被せた様。宙に身体を浮かべているあたりから、十分な魔力を伺わせる。そして埃っぽさと異臭。どれを取っても霊系魔物の長に相応しい。  ボスが叫び声を上げる。思考コントロールか。これが、先ほど辛い思いをしたばかりのわたくしには、意外と被害をもたらしたのであった。ボスの姿がうっすらとぼやけて、彼の微笑む様子に見えてきたのだ。自然にその胸に抱かれたくなり、吸い寄せられて行く。  カランカラン…。  全身の力がすっかり抜けて、与えられたばかりの『聖剣』を地面に放り出して…、一歩一歩、彼の『想い出』に向かって引きずられて行く…そう、それがただの想い出に過ぎない事は理解している筈なのに、なのに彼の隣がやはり温かいのだと、その腕の中が心地良いのだという感情が勝ってしまったのだ。  わたくしはすっかりボスの胸元に納まり、まさにボスの両腕がわたくしの首筋に回されようとした時だった。  コツン。  何か硬い物が首筋の骨に振動を与えた。この感覚、彼の指輪だ。彼に抱きしめられた時、いつも頸の出っ張りに当たる、あの感覚。なんで霊系魔物の手指に彼の指輪があるの!こんなのおかしい。  わたくしははっと意識を取り戻すと、右の拳に聖法術をありったけ込めて、ボスの胸元に叩き込んだ。 「おぉぉぉぉぉ」  ーーーボスは光の中へ消え去った。  ボスが消えると、コロン、と指輪が地面に転がった。彼はこれを慌てて探していたんだな。  夜遅くになったが、彼の両親を訪ねる。  ダンジョンからの帰路随分と迷ったが、その死を告げに行くのは早い方がいい。明るくなれば冒険者による亡骸の搬出作業も始まるのだから。彼の家族からは当然詳しい事情を訊かれ、わたくしもできるだけ包み隠さず話した。ただ、死に至った『ほんとうの』経緯だけはどうしても言い出せなかった。  頃合いをみて彼の遺品を家族に手渡す。すると、彼の母親がこう語ってくれた。  この指輪を彼は、先月誕生日を迎えたわたくしにプレゼントするつもりだと話していたこと。そして、プロポーズを考えていたということまで。わたくしの目にはまた、いっぱいの涙が溢れ出てきた。  彼の母は、彼の意思の通り、その指輪を貰って欲しいと申し出てくれた。わたくしはありがたく申し出を受ける事にした。なぜかって。  もう、誰かに恋はしないから。その代わり勇者として、すべての冒険者と、この世に生まれ神の下に跪けるすべての人を守り抜くと約束し、ここにエンゲージするから。
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