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〜怠惰な男〜
男は怠惰であった。冒険者になった理由も、好きな時に好きなやり方で稼いで、好きなように生きられる、からだった。
男はすぐに行き詰まった。冒険者の世界にも他の組織同様に、ギルドという仕組みと決まり事がある。これを無視すれば稼ぎにもならないし、下手をすれば粛清の対象にもなるし、法の裁きも受ける。夢とは所詮、現実の上に成り立つものだと、男は思い知らされたのだ。
男はギルドの方針はそこそこに、自身を鍛え直すことに重心を置くことにした。魔物と闘った。毎日、毎日。時には上級の魔物にも出くわした。死ぬ気で闘い抜いた。故郷に古くから伝わる長槍を相棒にして、前だけを向いて。
そしたらたまたま山が当たり、そいつは高額の報奨金の掛かったモンスターで、ギルドから報酬としてたくさんの金貨を得た。その報酬のおかげで、またまた男は怠惰に身を堕とす。
男はすでに身も心も酒に蝕まれていた。昼過ぎに目を覚まし、コップ一杯のぶどう酒を煽らないとベッドから起き上がることすらできない。酔いが覚めてくれば、激しい頭痛と、胃腸の心地悪さ、そして眠気に襲われる。それらの苦しみから距離を置きたくて、また大量の酒を喉に流し込む。
酒など飲みたくはないのだ。けれども身体から酒が抜けると、何もかもがうまくいかないような気がする。完全なる悪魔憑きと言えよう。
金はもうとっくに尽きている。国からの僅かな援助を頼りに、高額な酒と最安値の小麦で食いつなぐ生活を送っていた。アルコールがその身体を蝕んでゆく。男はいよいよ死ぬ時を悟っていた。どうせ死んでしまうなら、故郷の教会に最後の祈りを捧げたい。
男は家路に全てを託す。残った小麦粉をかき集め、ミルクと一緒に練り合わせて焼いた郷土料理を布袋に詰め、水筒に一杯の水と、庭先に咲いた一輪の花を携えて、ひたすら歩むのであった。
食糧は2日目でなくなった。途中で補給しながら、控えながら口にしていた水も、3日で底をついた。だけれども4日目に故郷に到着したとき、綺麗に咲いた花だけはその色が褪せることはなかったという。
ここは本当に自分の故郷か…街の風景がガラリと変わっているではないか。男が生まれ育ったボロ家は、立派な洋服店に様変わりしていた。自分のルーツを失ったような気持ちになって、街の見物など出来るはずもなく、男はまっすぐに教会へと足を運ぶ以外になくなった。
フラリ…フラリ…
男は一筋の希望の地とした、町外れの小さな教会にたどり着いたが、それに掛かる大十字を見上げてがく然とした。こんなところまで…あの懐かしい、親友たちと付けた聖堂のイスの傷も、きっと綺麗さっぱりなくなっているであろう。何せ、宗派自体がごっそり変わっているのだから。ツタの絡まったデザインが大好きだったあの大十字が、架け替えられていたのだから。なんだ、あのススキの様なものがあしらわれた不細工で滑稽な十字架は。
後に男は知る。この地の領主が代わり、土地柄も一変したのだと。
いよいよすがる物が無くなってしまった男の向かう先は、子どもの頃よく遊んだ聖なる丘であった。ここだけは何も変わってはいないだろうと。ただそこに吹く乾いた風はいつも留まることを知らず、自分が過去に置いて行かれたような気がして、男はついに一筋の涙を流してしまうのだった。
自由を求め夢を追いかけたはずが、その成果は最初から最後まで自分を縛り付けるだけであった。本当の自由とは何なのであろうか。自分には夢を追う資格すらなかったのだろうか。大きな世界の中で、自分の存在が到底小さく感じられる。いいや、小さい世界の中で、自分が今まで犯してきた罪がまるで空いっぱい海いっぱいを埋め尽くすかのように大きく、深く感じられたのである。
全ての想いが空虚に回帰し、いたたまれくなった男の足は丘の先、懺悔の壁へと向かう。この絶壁の上から滑落した者で生きて帰った者はいないという…
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