酒場〜男と女の怠惰〜

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     〜怠惰な女〜  女は怠惰であった。身の回りのことは、全て屋敷に仕える者が世話をする。朝は、新しく花瓶に生けられた花と、お気に入りのお茶の香りで目が覚める。冬など布団が恋しい季節は、朝食までサイドテーブルに用意され、日が高くなってから着替えればよい。  広い屋敷にも、清楚なドレスにも、栄養十分な食事にも何ひとつ欠くことのない生活であった。女は、いや少女はそんな環境の中、趣味の習い事と、将来立派な淑女に成長するのに十分な勉強と、そして恋愛だけしていれば事足りていた。習い事も勉強も超一流の先生が当てがわれ、行く末は順調に思われた。少女はそもそもの才能もあってか、みるみると技能と知識を吸収し、桜の開花を二度迎える頃には超一流の生徒になっていた。  さて、この天才少女、どうやら恋愛に関しては一筋縄ではいかなかったようだ。男性にモテるかどうかと尋ねられれば大モテである。家柄良し。有り余る程の、さりとて出しゃばらない教養。そこから滲み出るセンス。さらには容姿端麗というのだから、男性からしてみれば一度挨拶くらいはしておきたい相手であろう。  しかし少女が拒む訳でなく、特別嫌な態度をとる訳でなく、運命の女神に天罰でも下されているのであろうか、その結末がなんとも痛ましい。時に王国の騎士様、時には夢を目指す冒険者、はたまた館の下男にまで…。  女の恋は成長するにつれ、どんどん激しさを増した。怠惰な生活の中で、恋だけが輝いて見えた。花の旬のように、すぐに終わってしまう恋。だからこそ、世界中で何よりも儚く、素敵に感じられたのだ。それは午後のティータイムに出される飴細工や、繊細に編まれたスカートのレースのようで、女をワクワクした気持ちにさせてくれるのだ。  殿方の顔、思いやり、その吐息。何をとっても女を悩ませてならぬものはなかった。満月にその姿を思い描き、幾分かに欠けた月にはお互いの心の片割れを映し、新月の夜には逢えぬ恋しさまでをも(たの)しむのであった。  そんな女がパタリと恋を辞めたのは、十五の誕生祝いを少し過ぎた頃である。焦がれて止まぬ気持ちをその心の奥底に秘めたのか、ただただ興味が無くなったのか。  慌てたのは、そんな女のまわりにいた沢山の取り巻きであっただろう。特に、今まで恋に夢中の女にあれこれ売りつけていたお抱えの商人は、店をたたむ時期かと真剣に悩む程であった。  パーティーワルツの調べに乗せて、可憐にスカートを翻していたお嬢様は、突如絨毯の上から姿を消したのである。
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