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〜わたくしが諦められるのはあなたが騎士様だから〜
わたくしが生まれて最初に男性として意識したのは、たまにお屋敷に来るきっちりと正装した大人の男性だった。彼は紳士だった。優しさと愛情に満ち溢れた人物だと、わたくしの目には映っていたのだ。
よく彼と父とのお茶の時間に同席した。指定席はいつも彼の隣。彼は必ず笑顔をこちらに向けてくれた。胸には金色に輝く星のバッジが二つ。抱っこをおねだりし近くで見せてもらった。星を取ろうとすると、
「ああ、これだけはダメなんだよ」と大事にしていたのを思い出す。
彼は誰で、どんな人なんだろう。わたくしは家庭教師の先生に尋ねてみた。そしたら、王室の騎士様ですよ、と少女のわたくしには難しい返事が返ってきた。まあ、とりあえず偉い人なのかなって。
当時のわたくしは文字は読めたし、本を読めば知識を得られる事も理解していたので、必死に勉強した。王室の制度、礼節、公務。
勉強するにつれ、彼が我が家に訪ねて来る理由がぼんやりと理解出来るようになってきた。ただ父に会いに来て、わたくしに会いに…面倒を見に来てくれている訳ではない。どうやら公務で訪ねて来る事が多く、時にはなん時間も交渉ごとをしている事もあったらしい。
たまにくれるプレゼントも、交渉を有利に進める道具に過ぎない…などとは思いたくもなかったけれど。
後に父に聞いた話によると、当時は魔族との戦争以前、まだ人間同士が争っている時代であった。どうやら父は拮抗する大陸間戦争への協力を迫られ、圧力をかけられていたと。だけれども感情は裏腹、表面的にでも優しくされ、初めて恋という感覚が芽生えたことに気が付いた。
そんな頃にはもう遅かった。彼は父からの信用を完全に失っており、訪ねてきても門前払い。彼の馬車が何度も引き返して行くのを、二階の窓から眺めては、涙を流した。
ある日、また彼の馬車の蹄の音が聞こえた。わたくしはいてもたってもいられなくなり、屋敷の裏口からこっそりと抜け出した。彼の馬車が引き返すのを先回りして、道すがらで彼を待とう。
意外にもその日は門前払いにはされず、馬車が帰路に着くまでに半刻ばかり時間を要した。彼は馬車から下りず、使いの者が書簡を持って伝言したようだった。彼を乗せた馬車が近づいて来る。思い切って馬車の通路を塞いでみた。馬は驚いて歩みを止め、騎手は怒号を浴びせる。扉が開き、彼が驚いた顔でこちらに歩み寄る。彼の姿が夕陽に照らされて眩しい。その顔はいつの間にか見慣れた笑顔に変わり、
「どうされました、お嬢様。こんな危ない真似を」
彼の顔を見上げて答える。
「あなたに、会いたかったから」
まだ幼いわたくしには、そんな言葉しか思いつかなかった。溢れ出しそうな涙を堪えて、これは嬉しい気持ちなのか、今まで会わせて貰えなかった怒りの気持ちなのか…、それとも何かを予感する悲しい気持ちなのか、感情がごちゃ混ぜに襲ってきた。
「そうでしたか。偶然です。わたしもお嬢様にお会いしなければいけないと思っていました」
そう言うと、ポケットに手を突っ込みゴソゴソと何かを引っ張り出した。
「これをお嬢様に差し上げようと思いまして」
彼の手の中にあったのは、金色に光る星ひとつ。
「これ、すごく大事な星。わたくしにあげちゃダメ」
こんな、自分の命ほどに大事にしていた物を手渡すなんて…、その想いは。きっと重大な決意に裏付けされているのだと。
彼はイヤイヤするわたくしの掌に、無理やりにそれをねじ込んだ。
「これは、おうちに置いておく為のお飾りの片割れです。家族にはもうひとつ残してあります。だから、世界で一番可愛いお嬢様に、もうひとつを持っていて欲しいんです。」
この時はまだ、本当の意味などわからなかった。ただただ、彼の気持ちが事務的なものでなく、お互いの心が愛情で繋がっていたように思えて嬉しかった。いつか彼と父が仲直りしてくれれば、以前のように会ったり、語らったりできるのだと。
「では、お嬢様。またどこかで。」
少し寂しげな言葉を残して彼は馬車に乗り込む。わたくしは思いの限り手を振った。夕焦がれに溶けるように、馬車の影は小さくなっていった。
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