百円ハグ

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「い、いいかな?」  目の前に現れたのは、ヨレたスーツ姿の中年男性だった。  サラリーマンの仕事帰り、と言った様子だ。  スーツの胸ポケットから取り出した財布から百円玉を取り出し、呼吸音荒くトモエに差し出した。 「へーい、毎度」  百円を受け取ったトモエは、それを足元の貯金箱に入れ、そこに段ボールを立てかけてから改めて体を起こした。 「はーい、ど・う・ぞ」  その表情は、先ほどと打って変わって満面の笑み。  おどおどしていると、自ら前に出て中年男性を優しくハグした。  その行為が彼に火をつけたのか、男性も積極的にハグに行く。  タップリ三十秒ほどハグした後、男性はようやく少女を解放した。 「もう良いの?」 「あ、ああ。もう十分だ」  ふぅー、とひとつ大きく息を吐いた男性の顔には、満足と羞恥の入り混じった笑みが浮かんでいた。 「毎度ありー」  また死んだ目に戻ったトモエは小走りで去っていく男性の背中にそう声をかけた。 「んふ、ちょろいね」  そう呟いたトモエの手には、先ほど男性の胸ポケットに収まっていたはずの黒い財布があった。  彼女はスリだった。百円を出させるときに財布の場所を観察し、ハグされている間に事に及ぶ。ターゲットは緊張しまくりな男性だった。ハグが終わった後は、恥ずかしさがかって逃げるように立ち去るタイプ。気が付くのはトモエから随分離れた後で、その頃にはトモエはもう立ち去っているという寸法。  慌てた様子で先程の中年男性が戻ってきたときには、そこにはもう何も残されていなかった。
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