小学校、卒業の記憶及び、卒業後文集。

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 五年生の担任だった、たつろう先生は、学年主任も兼ねていました。僕が六年になったら、中学校に転勤しました。  たつろう先生に、どこかでお会いしたとき、話したことがあります。 「先生って中学にどうして転勤になったの?」  先生の答えは覚えていません。大人の今なら、紙切れ一枚で人事異動が当たり前で聞くほうがどうかしています。  五年生までは、先生とタメ口で話しても許されましたが、六年になってからは、敬語で話すよう、ひなこ先生から言われました。  ひなこ先生にも、中学に転勤になるのか、聞いたことがあります。 「ひなこ先生、先生が中学校や高校の先生に転勤したら、どの科目を教えるんですか?」 「先生は、小学校でしか教えれないの。教員免許って分かる?」 「うん、じゃなくて、はい!」 「先生は小学校の教員免許しかもってないの。先生に興味持ってくれてうれしいな。もしかして、学校の先生になりたいの?」  教員免許は通称であり、“教育職員免許法に基づく小学校教諭普通免許状”ですが、分かりやすさを優先して、教員免許と言ってくれました。 「学校の先生には、興味ありませんが、ひなこ先生に興味があったんです」 「えー」  ひなこ先生は笑顔で喜んでくれました。  お名前は忘れましたが、先生が、放課後、学校近くのスーパーで、買い物をしているのを、見たりしました。  目撃した僕が、「昨日、先生がスーパーでキャベツを買っていた」とか、学校で言いふらしたりします。  僕は小学校6年間で一番楽しかったことを、思い出そうとします。  しかし、思い出されるのは嫌なことばかりです。運動が苦手で運動会では、どの競技もドベ。校内マラソン大会でもドベでした。  頭が痛いと親に言って、ずる休みしたこともありました。  体温計で熱を測っても、平熱だったので、激痛と、うそを突き通しました。心配した親は、かかりつけのクリニックに連れて行きました。  お医者さんは、非常に慎重に診察をして、真剣に痛みの原因を突き止めようとしてくれました。原因不明です。  大きな病院に検査するよう紹介状を出されました。病院へ向う途中に親に、痛みが治まった、と言いました。  結局、何度も遠くの病院に検査で何度も通いました。とてもお医者さんや看護師さんに、とても悪いことをしました。  それからは、仮病は使うときは、お医者さんから、風邪でしょう、という範囲の症状にしました。
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