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「綾、一生忘れない…。」
詠史はそう言って私を抱きしめた。
出会ったタイミングが悪すぎた。
私は学生時代から付き合っていた彼との結婚をOKして両親への挨拶を済ませたばかり。
詠史はつい先日地方への転勤が決まり、彼女に涙を流しながら妊娠していると告げられて腹を決めてプロポーズしたのだそうだ。
結婚したら気ままに一人で旅行なんてできなくなる。週末に急に思い立った私は、旅先で同じように一人旅をしていた詠史と出会った。
豊かな自然が残る温泉街だった。
地元の魚を食べようとたまたま入った店で隣りあい、お互い独身生活が残り少ない身だと知り、ついパートナーの愚痴を言い合ったりして盛り上がった。
そして酒の勢いに任せて夜を共にした。
翌日も一緒に観光地を巡った。
私たちは趣味も考え方も驚くほど似ていた。
時々話が途切れて沈黙が訪れると握り合った手で思いを伝えた。
私は今日詠史に出会うために生まれてきた。
詠史も今日私に出会うために生まれてきた。
何かの間違いで二つに割れたカケラ同士が元の形になろうと引き寄せあっているようだった。
容赦なく時間は過ぎる。
涙が出そうなほど何もかもが愛しかった。
日が落ちる。
明日から私たちはそれぞれの日常生活に戻る。
そして私と詠史は、婚約者と結婚して別々の家庭を持つ。
でもきっとこの先、どんな困難も乗り越えられるし何があっても幸せでいられる。
運命の人に出会えたから。
心の中で運命の人と繋がっているから。
詠史の背中に手を回す。
川のせせらぎ
赤く染まった空
切ない胸の高鳴り
詠史の温もり
この一瞬の幸せを、一生にする。
ギュっと心に焼き付けた。
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