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「君、明日から来なくていいから」
私が勤めていた会社の社長から突然そう言われてしまったのは、つい先週の事。
その会社は決してブラック企業だったわけではない。寧ろホワイトすぎて逆に怖いくらいだった。
休みたい日に休めるし、残業もほぼ0といっても過言ではなく、体調が悪い時には上司や同僚が心配し早退を勧めてくれる。そんな会社だった。
……それでも、私は会社を『クビ』になった。
その理由は分かっている。私があまりにも『使えない人間』だったからだ。
何度言われても同じミスを繰り返し、周囲の人間にも笑顔でいられず孤立していた。おまけに仕事のスピードが他の人に比べて明らかに遅い。
……わかっていた。原因は全部、私だ。
「……わかりました。今までありがとうございました。そして、申し訳御座いませんでした」
そう言って頭を下げたのも、つい先週の事。
その後、私は色んな所を転々としていた。所謂『自分探しの旅』をしているのだ。
東京を出て、大阪、京都、宮城、福岡、沖縄、北海道……。行けそうな所にはすぐに向かった。
各地で少し仕事をしては、どこの会社でも「明日から来なくていい」と言われ、頭を下げる。そんな日々を続けていた。
色んな場所を転々としすぎて、面接の際に「何故?」と指摘された事もあったが、流石に『自分探しの旅の途中で』云々とは言うわけには行かなかった為「家庭の事情」とかいうもっともらしい理由をつけた。……勿論、その時点で落ちた事もあるのだが。
楽しい事も勿論あった。自分の中で『折角ここに来たんだからあの有名な場所に行っておこう!』という気持ちがあったのだろう。
各地で所謂『観光地』と言われる所を事前に調べ、暇な時にはそこに行き、写真を撮るなどしていた。『自分の中にもちゃんと観光を楽しめるほどの余裕はあったんだな』と感じながら。
特に京都で有名な紅葉スポットに、丁度見頃な時期に行けた事は凄く嬉しかったし、実際見て感動した。その時までテレビでしか見た事がなかったのだから、尚更だ。なんだか心が浄化されるような気がした。……気がしただけかもしれないが。
そうして、私は今日本を離れ、異国の地で働いている。そこは、おそらく誰も知らないであろう秘境の地。ましてやおそらく日本人は誰も踏み入れた事がないであろう地だった。
そこで私は現在日本料理専門のお店を開いている。幸い日本料理に必要な食糧も仕入れたり育てたりする事が出来ていた。お客様は皆「美味しい」と言ってくれる。そこから日本に興味を持ってくれるお客様もいたりする。私はそれが少し嬉しかった。
……それでも、『自分探しの旅』を続けていることには変わりない。
此処は謂わばその旅の途中で立ち寄った地にすぎない。
この地にどれだけの期間滞在するかは分からない。ある日突然お店を閉めて他の地に行ってしまうかもしれないし、このままこの地に留まる事にもなるかもしれない。
時々『まだまだ、此処より遠い所に行ってしまいたい』と思う事がある。
だがその一方で『随分遠くまで来すぎてしまった』と思う事もある。
……だがそれでも、もう少し、もう少しだけなら、今の生活を続けていても良いかもしれない。
そう思いつつ、まだ見ぬ『遠くの地』を密かに夢見ながら、私は今日もこの『秘境の地』で料理を作り続ける。
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