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ふいに、彼が初めてこの町にやってきた日の事が思い出された。
わざわざ東京からやってきて、真剣な眼差しでこの退屈な
田舎町の景色をスケッチブックに写し取っていた引っ込み思案な青年。
若くてハンサムなのに、絵を描く以外には一切無頓着で、
そんな姿に気安さを覚えたのかもしれない。
「素敵な絵ね」
気が付けばそう声をかけていた。
振り返った彼は、大層、驚いた様子で大きな瞳をしばたいた。
それからはにかんだ顔で「ありがとう」と笑った。
思えば、その時から、とっくに優真に惹かれていたのだろう。
最初は、家庭に入り行き詰まりを覚え始めた人生の
ほんの息抜きのつもりで彼に関わった。
真っ直ぐに夢を追いかける学生さんを、
老婆心ながら応援してあげようと、町の絶景スポットを案内したり、
お弁当を作って差し入れたり、ただそれだけの事だった。
だが、素直で純粋で、頑なそうな雰囲気に反して、
話してみれば、子供のように無防備な彼と深い仲になるのは、
大して時間がかからなかった。
絵を褒めた時の子供のように嬉しそうな顔。
被写体を見据える真っ直ぐな目、迷いの無い手付き。
何もかもが新鮮で魅力的に映った。
何より、彼の才能に惚れ込んだ。
彼の目を通した退屈な町は素晴らしく、
彼が描けば、ありふれた日常が全く別の輝きを持って
紙面に浮かび上がった。
今は、まだ芽が出ていない。
それでも彼はいずれ大成する。
そうして多くの人の心を打つ作品を世に残すのだ。
絵に関しては全く素人だったが、何故かそう確信した。
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