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 最初から期待していない。  自分には縁が無いもの。自分だから縁が無いもの。  だから、欲しいと思わない。世界中から除け者にされたっていいのだ。このままひとりで死んでいく。俺は、それを願っている。 【一】  あいつはどこにいるんだろう。  この時間だからか、ホールのエントランスにはごった返すほどではないものの、だが縫わなければならない程度の人を横目に看板が示す矢印に従い足を動かす。角を曲がると、近い場所に設置された受付には誰ひとりとして見覚えが無いが、多分何度もすれ違っているんだろうなあという女の子達が楽しそうに談笑していた。 「まだ大丈夫だよな?」  俺を見るなりぽかんとした表情になった受付係たちに、あらかじめ渡されていたハガキを見せる。『高宮優(たかみやすぐる)先生へ』、と癖っ気のある字が書かれた下には、『油画専攻・佐山貴昭(さやまたかあき)』の文字。だが渡した子はそれを確認しようともせず、『ど、どうぞ』と吃り気味な声のままパンフレットを渡してきた。面は割れているから当たり前だが。 「せんせー」  受け取った瞬間軽く肩を叩かれ、『お前駅まで迎えに来てくれるんじゃなかったのかよ』と思わず口に出してしまいそうになったが多分、そんなことを言ってもこいつには毛ほども響かないだろう。 「……貴昭、」  振り返ると、やっぱり悪びれてなさそうな貴昭が居た。割と近くに居たものだから威圧感が凄い。ほとんど日常生活で他人に威圧感を感じたことはないけれど、やっぱり貴昭だと感じるんだよな。もちろん物理的な意味で。でかい図体なのは俺も同じだが、そこに加え熊のようなおっとり感というか、余裕感がある。 「遅かったじゃん」 「いやお前が『迎えに行く』って言ってたから駅で待ってたんだよ!」 「え、そうだっけ?」  ほらやっぱり。全然悪びれていないどころか話の内容まで忘れていやがる。なにが『遅かったじゃん』だよ、こっちは早々にこの可能性を見出してたかだか十分程度しか待たなかったわ。 「…えっ、なんで高宮いんの?」  ふと聞こえた声に、思わず耳を傾けてしまう。 「ほんとだ! え、高宮こういうとこ来ないんじゃないの?」 「佐山が出してるからでしょ」 「いとこだっけ」 「かわいがられてるねー」  広い入り口の反対側、隅の方から聞こえる声はひとりのものではない。小声で話しているつもりかもしれないが、ガッツリ反対側の俺に聞こえる程度の声量は、とてもじゃないけれど抑えられているように思えなかった。 「入ろ。案内するよ」 「あ?ああ、」  腕を引かれ、中に進んでいく。貴昭は全くというほど気にしていないらしい。というか、多分聞こえてないんだと思う。聞きたい言葉以外は聞かないよう出来るのが羨ましい。  まだパンフレットも見られていないのに、と会場案内図を見た瞬間、ふわりとシンナーの香りがした。塗装剤の匂いが落ちきっていない。彫刻科の生徒か、ぎりぎりに完成させたやつが居るらしい。作品展ともなれば当日に完成、開場してからの運び込みと設置を行う奴は毎年必ず居る。担当教諭達の苦労をありと感じてしまって心苦しいというかなんというか。  足を止めながら、ひとつひとつを見る。油絵のタッチ  いわゆる癖は、特に顕著だ。自分が受け持っているコースではないものの、貴昭と同期のやつらに対しては名前を見なくとも描かれたものから特定できてしまう。  こいつはなにが表現したいのかわからない。こいつのはバランスが悪い。こいつのは不安定。こいつのは良くも悪くもない。こいつのは俺と感性が合わない。こいつのは色作りが甘い。心の中でアルファベットの判定をつけていく。  そうして、一枚の絵に行き当たる。いつのまにか離れて歩いていた貴昭を横目に、作者の席札を見るとなんと、綺麗にはがされていた。 「タッチ変えた?それとも不調?」  振り向きながら絵を指差して言う。 「せっかく名前外したのにー」  言いながら、貴昭が手のひらを見せた。『佐山貴昭』という小さなパネルに、こいつどこまで本気出してんだと少し笑ってしまった。 「まあ、お前ってイメージじゃないよな、この絵は」 「模索中だからじゃなーい?」 「成長途中?」 「そんなとこ」  筆の跡が残るキャンバスは、湿度を考えて貼られたのが伺える。乾燥した場所で仕上げると布自体が緩みやすくなるから。  絵に関して、貴昭はこれでもかというくらいに突き詰めるたちだ。さすが芸術家一族の本家なだけはあるな、と嫌味ったらしく思って、ちょっと笑えてきた。どの絵をリスペクトして制作したのか分かって、だからさらに面白い。俺も貴昭と同じくらいの年代だった時は、ばあちゃんの絵を見ながら技術を盗もうとしていたものだ。  「もうちょっと丁寧に色作れよ。書斎の、ばあちゃんの絵見てやったんだろ?」 「いやいや、さすがにあそこまでは無理でしょ」 「……でも、悪くないと思うよ。お前らしさ残ってないけど」  こいつの勢いが抑えられたキャンバス。これはこれで愛嬌があって良い。いつもの死ぬほど疾走感のある『貴昭の色』が出た絵もいいけど。 「せんせーのはいつも『せんせー』って感じするよ」 「まあね。作ってるの俺なので」  製造工場が同じだったらそりゃあそうだ。もっと他の例え方はできないものなんだろうか。 「あっねえねえせんせー、これのんちゃんの作品」  貴昭の絵の前で腕を組みながら一族の血を感じていると、また腕を引っ張られる。貴昭が、ちょうど隣にあった作品を指さしながら言った。席札名は『畑屋のぞみ』。 「相変わらずプライド高そうなタッチだな」  目力の強い、無表情な偏屈男が頭の中に浮かぶ。所々に飛ぶインディゴブルーはちょっと怒りながら散らしたに違いない。絶対にそうだ。 「俺のんちゃんの絵好き」 「お前畑屋の作品だったらなんでも褒めるじゃん」  いいとか悪いとか好きとか嫌いだとか、貴昭には一切関係ないのだ。一度好きだと思う作品を作った作家ごと好きになる。その代わり、滅多に好きな作品に出会わない。基本的に目が肥えているというのもある。ひとことで言えば偏食のような、好きなものは嫌になるというくらい浴びなければ気がすまないタイプの人間。ちなみに、貴昭が俺の作品を褒めた事は一度も無かった。 「せんせー?」 「ん? ああ、」  さて、まだまだ先が長い。終了時刻まではあと四十分。ペースを上げないと、時間内に見終わることができなくなる。  大学主催の展覧会で、これほど多岐に渡る科が集まったものは年一回のみ。外部の総合美術展は凝り固まった思考の人間ばかり集まり、停滞する国内の芸術分野は既に海外と雲泥の差がついているといっても過言ではない。そんな中、学内だけとはいえ設立された展覧会は、過去自分も応募したことがある思い出深いものだ。しみったれていない、あらゆる意味合いで『新しいもの』と銘打てる。グローバルな視野を持てるのはいいことだ、と思うのはきっと、日本の美術展で一度も受賞したことが無いからなのかもしれない。日本で評価されない代わりに、海外の美術展で賞をもらい、その評判が日本まで届いたといういわゆる『逆輸入』の恩恵を授かったおかげで今の俺が居る。その基礎を作ってくれたこの大学には感謝しているからこそ、縁が縁を呼び『先生』なんて自分には到底似合わない立場を引き受けたのだ。  といっても自分が卒業して以来一度も来たことはなかったし、自分がこの大学の客員教授になってからは先生という立場、そして貴昭との繋がりもあったので、さらに足が遠のいた。まあ、元々人の作品が展示されているのは苦手というのもあるけれど。  じゃあ何故自分がここに居るのかというと、答えは簡単。マイペースないとこに『せんせーもきてよ』という一声を掛けられたから。それだけ珍しかったのだ、貴昭がそんな風に自分を誘うだなんて。  そうして蓋を開けてみると、『作風変えたんだけどどうよ』ということだったらしい。貴昭の色は素直に落ち着く。雰囲気に、なんとなく自分たちの血を思い出させるから。 「……もういいかな」  彫刻エリアに差し掛かった瞬間だった。悪寒のようなものがして、遠目からでも分かるその異質に自然と足が止まった。 「え、向こうのエリア彫刻だよ?せんせー彫刻好きじゃん」 「今日はいいや」 「いやいや会期今日までだっつーの。……あ、もしかして……合わないやつ、あった?」  正直に言うと、これ以上近寄りたくない。本当は全部の作品を見て回りたいのだ。学内規模の展示だと思って悠長にしていた結果がこれか。 「せんせー影響受けやすいからなー。誰のでダメージ受けそうになったの?」  ごめん、と言いながら、とりあえず彫刻エリアに背を向ける。自然と口を押さえてしまい、その動作で貴昭には『何故足が止まったのか』というのが分かったらしい。 「近寄ってもいない俺に聞くなよ、知らねえから驚いたんだよ」 「左から数えて何番目?」 「……多分、三番目」 「あ、一番おっきいやつ?」  あんな作品作るやつ、学内に居たんだ。よくも分からない不安にかられ、自分の心臓がいつもより早く動いているのを実感してしまうともうダメだ、余計視界にも入れたくないと思ってしまう。 「食わず嫌いかもしんねーじゃん? 間近で見たら印象変わるかもよ?」 「……いや、無理」  威圧感に恐怖さえ覚える。気づかず近寄らなくてよかった。幸い、このあとは作品をいじる予定も無い。大丈夫、どこにも影響は出ない。 「来週一週間は校内に置くんだろ?」 「そそ、」  施設の外まで見送ってくれた貴昭は、会期終了後自分の作品を学校に持ち帰る為このまま残る。 「あ、今日おばさんにご飯呼ばれてるから夜いらない」 「……お前、断ってもいいんだからな?」 「や、大丈夫。おばさんのごはんおいしいし。せんせーのごはんがあんま美味しくないだけ」 「わがままか!全部食べ尽くすくせに!」  それどころか深夜作業の最中、わざわざ俺の部屋まで来て『夜食作って』、と言いにくるくせになに甘えたこと言ってんだコイツ。味付けの部分でいったなら全部一緒だわ。大差ないわ。  でも、それならばちょうどいい。どうせ店屋物を取るよう言わなければと思っていたから、手間が省けた。 「俺も今日夜居ないから。アトリエ使っていいけど、母屋の鍵だけはかけていけよ」 「はいはい」  だが、本人が言うならばまあいいか。ゆきこおばさんも気の良い人だから育ち盛りのコイツにたらふく食べさせてくれることだろう。  ほぼ断る二割確率の俺とは違い、誘ったら十割  つまりは振る舞いを断らない貴昭が可愛くてしようがないのだ。 「じゃあ帰るわ」 「ねえせんせー」 「あ?」  背中を向けたところで声をかけられ、つられて振り返る。貴昭は目を見開いて、ゆっくりと言った。 「……デート?」 「違う違う、ただの呑み!」 「あはは!」 「笑うな!」  適度に交際相手がいた貴昭とは違い、俺にとっては全然笑えないネタだから腹が立つほど困る。どうせ彼女出来たこともねえわ。どうせ、三十一歳を迎えても未だに童貞のままだわ。馬鹿にすんな。
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