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第4話 もうすぐ
職場に近い場所に引っ越した。
かなり老朽化した二軒長屋だ。一軒の家を二分割したような間取りで、玄関は別々だが、壁一枚で隣室とつながっている。家賃を押さえたせいか、思いのほか壁が薄いようだ。となりの話し声が聞こえた。
こそこそこそ。ボソボソボソ。
昼間はハッキリと会話の内容までは聞こえないが、どうやら若い男女の声だ。
初日はあまり気にしていなかった。
引っ越しのための荷物の運び入れなどで疲労がたまっていた。布団に入ると、またたくまに寝てしまった。
しかし、翌日だ。
一日、有給をとったため、ダンボールをひらいて、だいたいのところ落ちつくと、やることがない。いつもより早めに寝ることにした。
すると、壁の向こうから、ボソボソと男女の声が聞こえる。
「もう寝た?」
「まだみたい」
「早く寝てしまえばいいのに」
文緒はイヤな気分になった。
安普請だから、多少の物音が聞こえるのはしかたない。しかし、これではとなりの住人に監視されているみたいだ。
それからというもの、となりの話し声が気になった。気にしないようにはしていたが、それでもやはり、毎晩、「もう寝た?」「いや、まだ」「いいかげんにしてほしいよ」などと言われれば、いい気持ちはしない。
ある夜、あまりにも腹が立ったので、つい大声を出してしまった。
「こっちがいいかげんにしてほしいよ。毎日、毎日、ウルサイ! 何時に寝ようとこっちの勝手だろ」
すると、ピタリと話し声がやんだ。
ほっとして、ひさしぶりに熟睡できた。
そのことがあって、夜中に隣室から話し声が聞こえると、「またか」「しつこい」「まだ寝ないよ」などと言い返すようになった。
しばらくして、隣室から引っ越し業者のトラックへ荷物が運びだされた。
(となり、出てくんだ)
よかった。よかった。
これで毎晩、安眠できる。
そう思ったのだが……。
その夜、どこからか、あの声が聞こえた。
「もう寝た?」
「いや、まだだよ」
「あいつが起きてると困るんだよな」
「困るね」
「もうすぐ…………なのに」
となりは無人だ。
この建物のなかには、今、文緒しかいない。
「もうすぐ……なのに」
「もうすぐ……」
クスクス。ぼそぼそ。
もうすぐ、なんだと言うのだろう?
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