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第5話 マンホール
あっ、どうしようと文緒は思った。
急いでいたから、ついウッカリ、この道を通ってしまった。
民家のコンクリート塀に両側をはさまれた路地。道のまんなかあたりに街灯が立っていて、そのすぐ下にマンホールの蓋がある。
あそこは以前、作業員のミスで蓋があけっぱなしになっていたとき、運悪く小学生が落下して死亡した場所だ。
文緒が子どものときの話だから、よく覚えている。同じ学校の児童だった。学年も違うし、話したこともなかったが、事故のあと、全校集会があり、校長先生が長々と話していた。
この道をずっと、さけてきたのには、わけがある。
あの事故があった日、文緒はぐうぜん、この道を通りかかった。友達の家に遊びに行って、いつもの下校路より、まわり道をしたのだ。文緒が通りかかったときにも、マンホールの蓋は少しひらいていた。もしかしたら、あのとき、すでにあの子はマンホールのなかで苦しんでいたかもしれない、助けを呼んでいたのかもしれないと思うと、良心が疼いた。
文緒は迷った。
急いで大通りに出てタクシーをひろわないと、今日は大事な接待があり、スケジュールが立てこんでいる。
日が傾きかけて、あたりは薄暗い。
夕刻と夜のあいだ。
まだ街灯の明かりは点灯しない。
でも、両側をコンクリート塀に囲まれた路地は見通しが悪かった。
どうしよう?
行こうか、やめようか?
ほんの数分、ガマンして走りぬければ大通りに出る。そこまでの辛抱だ……。
迷っていると、前方に人影が見えた。黒いシルエットになって、少しずつ近づいてくる。
文緒は、ほっとした。
自分以外にも人がいるなら安心だ。
靴音を鳴らして路地にふみだす。
だが、しばらくして、変なことに気づいた。前方の人は街灯の近くで立ち止まっている。なんで、こんな何もないところで止まるのだろう?
嫌な感じはしたが、しかたない。今さら後もどりしている時間はない。文緒は足どりを早めた。何も考えないようにして、速足で通りすぎようとした。
ちょうど人影とすれちがう寸前、頭上で街灯に灯がともった。そこに立っている人の姿が、はっきり見えた。
文緒は腰をぬかしてしまった。
立っていたのは、人ではなかった。
泥水のかたまりだ。
マンホールの蓋がひらき、そこから噴きだした黒い水が、人の形をしていた。生首のところだけ、いやに生々しく、青白い子どもの顔がのっかっていた。
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